未来を写した子どもたち
マトリックスで暮していたネオは、目の前に現れたコワモテのおっさんモーフィアスに「お前は救世主になる運命だ!」としつこくセマられ、マトリックスを後にする。ところが運命を占う預言者ことオラクルが言うには「あんたは救世主になる運命じゃない」。

ところがモーフィアスの夢を砕くことができないネオは、自分のがんばりで救世主になることを決意。そしてそれを実現させてしまう。さてさて、問題はここから。ネオの運命は、実のところどれだったんでしょう?救世主になること?救世主にならないこと?それとも救世主じゃないのに自力で救世主になっちゃうこと?決まっていた運命を打ち破ったのか、はたまた、打ち破ることが運命だったのか。こーして考えてると、よくわかんなくなっちゃうんだなあ。なんなんでしょ、運命って。

映画『未来を写した子どもたち』は、インドの赤線地帯で生まれ育った売春婦の子供たちを主人公にしたドキュメンタリーで、「運命」について考えさせられる。子供たち(特に女の子)の運命はもちろん売春婦になることで、女の子は10歳そこそこで客をとらされる。生活の基盤そのものが犯罪である上に、インド特有の身分制度も絡み、ほとんどの子供たちはこの町の最底辺の人生から抜け出せない。映画は、この町で暮らしながら売春婦を撮るイギリス人の女性写真家が、なんとか子供たちの運命を変えられないかと奔走する姿を追う。インド人はなんつーか、アバウトかつスレッカラシなので、その苦労はもうハンパじゃない。でも彼女のがんばりで、数人の子供が全寮制の学校に入学するのだが――結局はほとんどが町に戻ってしまうのだ。それは、それぞれの子供たちの運命だったのか?そうじゃないと思うなあ。「ま、これが運命なんだよ」って言葉は、たいていが諦めた時の言い訳だ。「運命に負けるのはイヤ!」とがんばれば、そこから先はまた違う運命が開ける。逆説的だけれど、決められたもののように思える運命を、決めているのは自分なのだ。

未来を写した子どもたち

おそらく深く考えずに学校をやめた子供たちの無邪気さに、悔しい気持ちになってしまうのは、彼らの運命が売春婦だからだ。でも「パパの会社を継ぐ」みたいな明るい方向性なら、なんも考えてなくてもさほど問題はない。息子が社長の器じゃなきゃ、最悪その会社がつぶれるくらいのもんだし。問題は、ここ最近の3人の首相である。“パパが社長ならボクも社長”式に、パパとかジイちゃんが首相なら、自分も首相になるのが運命と勘違いしてるフシがある。この映画を見て、ちったあ考えて欲しい。売春婦の娘が売春婦に向いているとは限らないのだ。 (text / Shiho Atsumi) 

(写真)アムステルダムの子供写真展にインド代表として招待を受けた11才のアヴィジット少年の作品。

未来を写した子どもたち

『未来を写した子どもたち』 

監督・製作・撮影:ザナ・ブリスキ、ロス・カウフマン
配給:アット エンタテインメント
劇場情報:2008年11月22日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
© Red Light Films,Inc.
 



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