美しき運命の傷痕
『美しき運命の傷痕』のオープニングの1シーンだ。ある中年男が出所の日を迎え、刑務所の高い塀沿いの田舎道を歩いている。ふと足を止めたのは、道沿いの草むらの中から小鳥の弱々しい囀りが聞こえたからだ。男はまだ産毛すら生えていない雛鳥が巣から落ちていることに気付いてそっと拾い上げ、その頭上にあった小さな巣に戻してやる。

男は心優しい善人であり、彼が服役した理由もそこにある。だが彼の妻はその「善意」を恨みぬいているのだ。

美しき運命の傷痕

これが「悪意」なら分かりやすい。悪意の良さはその単純さにある。悪意が悪感情を生むのは当然だし、たいていの悪意は相手に正確に伝わる。伝わらなくてイライラするのが悪意の発信者のみだというのも良い。他人の悪意に気付かない人は悪意を向けた人を愛すことすら出来るし、周囲はあの人のボケには救われると胸をなでおろす。それにくらべて「善意」はやっかいだ。たとえば『渡る世間は鬼ばかり』で、赤木春江が東てるみと正月に温泉に行こうとしているとする。角野卓造は「そんなもんに〈幸楽〉の金を使うな!」と2人を叱るが、これは泉ピン子にとってはありがた迷惑でしかない。鬼のいない正月というめったにない幸福を、鈍感なスダレ頭は「善意」という名の下に潰そうとしているのだ。時に善意は善意として機能せず、善意でしたことが他人の不幸の引き金を引くことすらある。自分の善を信じる人間は単純なだけにそのことに気付かず、周囲はそれが「善意」なだけに責めることさえはばかられる。〈幸楽〉のスダレ頭同様の善意を見せる『美しき運命の傷痕』の夫は結果として家庭を壊し、そのトラウマが娘たちの未来を破壊してしまう。それを「善意だったのだから」と許せるかどうか、これは難しい問題だ。

さて、冒頭の1シーンには続きがある。男が巣に戻した雛はカッコウの雛だった。カッコウは別の鳥の巣に卵を産み、そこの親鳥に雛を育てさせる習性がある。そしてその雛は卵から孵ると、同じ巣にある本来の住人の卵を巣から落として殺してしまう。優しい男が去った後、巣からは卵が落とされ、グシャッと割れる。善意は本当に難しい。 (text / Shiho Atsumi )

美しき運命の傷痕

Emmanuelle Beart Press Interview

エマニュエル・ベアール、ダニス・タノヴィッチ監督 来日記者会見

3姉妹とその母。激しくも美しい愛と再生の物語を描いた『美しき運命の傷痕』。巨匠キェシロフスキの遺稿を完全映画化した本作の公開を記念して、3姉妹の長女を演じたエマニュエル・ベアールとダニス・タノヴィッチ監督が来日した。

女性の心情をうまく表現できたのは、女優たちの力

ブラックのロングシルクジャケットに鮮やかなドレスで登場したベアール、まずは「ボンジュール!」と大きな声で挨拶。「日本には10〜15回ぐらい来ています。日本は本当に素晴らしい国だと思うわ、とくに視点や笑いの感性。日本のみんながまるごとフランスに引っ越してきて欲しいくらい」

デビュー作『ノー・マンズ・ランド』でアカデミー賞外国語映画賞などを受賞したタノヴィッチ監督との初仕事については「とにかく俳優を愛している監督。女性の苦しみや悲しみなど感性を鋭く描いた作品だったけど、監督自身はそれとは全く反対で、叙情・詩情・直感的な感性であたたかく包み込み、ユーモア・笑いを与えてくれたわ。またお互いの信頼関係ができていたので仕事がしやすかったし、私自身の新たな才能を見出してくれたと思う。撮影は、とても楽しい雰囲気の中で行われたわ」と語った。

一方タノヴィッチ監督は「良質な俳優に恵まれたおかげで、監督といいながらほとんどやることがなかった(笑)。俳優が素晴らしいと撮影はスムーズなんだ。ベアールは150%の力で取組むとても情熱的な俳優。また一緒に仕事をしたいと思うよ」と熱演ぶりを評価した。

映画はわたしの人生そのもの

女優であり2人の子どもをもつ40歳の母親でもあるベアールの“美しさ”の秘密についての質問には、女優らしいコメントが。「映画女優という仕事、映画というものはわたしの人生そのもの。偶然から始まった女優というお仕事だけれど、いつも溢れるほどの愛情をもって作っているの。私が作品に出演するかどうかは、そのキャラクターが作品の中でどういう存在なのか、どう描かれているのかが重要。キャラクターを追求しなくてはいけないから。そのキャラクターが私を呼んでいる場合もあるわ。そして、女優という仕事は監督から与えられて初めて成立するもの。映画があって私というのものが存在する。そして映画はチームでつくるもの。新しい作品に取り組むたびに、荷物をバッグにつめて好きな人たちと“映画作り”という旅に出るのよ。この旅は一生続いていくでしょう」感謝と気遣いを忘れないベアールとタノヴィッチ監督に、記者会見の最後にマスコミ陣からは拍手が沸き起こった。

info_blank

『美しき運命の傷痕』

監督:ダニス・タノヴィッチ
原案:クシシュトフ・キェシロフスキ、クシシュトフ・ピェシェヴィチ
脚本:クシシュトフ・ピェシェヴィチ
フランス=イタリア=ベルギー=日本合作
出演:エマニュエル・ベアール、カリン・ヴィアール、マリー・ジラン、キャロル・ブーケほか
配給:ビターズ・エンド
劇場情報:4月8日よりBunkamuraル・シネマ、銀座テアトルシネマにてロードショー!! 他全国順次公開