

ここで一度、ヴィヴィアン・ウエストウッド本人について振り返ってみよう。本名はヴィヴィアン・イザベル・スウェア。イギリスのダービーシャー州グロソップで生を受けたヴィヴィアンは、17歳の頃、両親とともにロンドンへと移住。現在知られているヴィヴィアンのイメージからは到底想像もつかないが、思春期を迎えるこの年頃まで美術館に行ったことがなかったというから驚きだ。

(右写真)オーブロゴを花でアレンジした、ブーケorbペンダント ¥40,950
1981年3月、イギリスのアヴァンギャルドの象徴となった頃、ヴィヴィアン・ウエストウッドはロンドンのオリンピアにて初のキャットウォークプレゼンテーション"パイレーツ"を発表。以来、常にトレンドをリードしてきた時代の先導者は1984年にそのファッションの方向性を転換する。次にヴィヴィアンが魅せられたのは、イギリスが誇るサヴィルローのテクニックや17世紀の生地、そして18世紀のアートなど文化的背景が色濃く映し出された分野だった。"伝統をもって未来を創る"という彼女のクリエイティビティを象徴するORBロゴが初めて使われたのもこの頃だ。ただ、彼女の歴史や芸術への造詣の深さは純粋に学術的なもので、保守的という言葉は似合わない。例えば、ロココやバロック調の貴婦人さながらのエレガントな服も、極端なまでにヒップを強調したクリノリンのミニスカートやバストが締め付けられたコルセットが性の問題を想起させるし、また過去には機敏なスーパーモデルをも泣かせるスーパーハイヒールや目隠しをされてよろめきながら歩く花嫁など、道徳的にタブーとされるものを作品化している。既成概念にとらわれない挑発こそが彼女の流儀なのだ。そんな彼女のイギリスファッション界に対する功績が認められ、エリザベス女王より"デイム"の称号を与えられたことは記憶に新しい。
そして、ヴィヴィアンが最近最も関心を寄せているのが環境問題。パリで発表された2010年春夏コレクション・ゴールドレーベルのテーマは「惑星ガイア」。ここでは大気中の二酸化炭素が増えると気温が今より5度上昇する、という危惧をスローガンに掲げたプリントのアイテムや、DIY精神を謳って写真やメッセージをコラージュしたARシャツなど、ヴィヴィアン流のエコロジカルな作品が登場した。より自身を高め、より人間らしくありたいと思う全ての人のために、とショーやパブリックリーディングを通じて文化的マニフェストを推進する彼女の姿勢には、これからも多くの人が共鳴することだろう。公私ともに最高のパートナーであるという夫、アンドレアスとともに。
text / Yoko Kondo

ヴィヴィアン・ウエストウッド インフォメーション
Tel:03-5791-0058
(右写真)「Vivienne Westwood Live in Japan」のフィナーレに登場したアンドレアスが、観客席で見守っていたヴィヴィアンの手をとりともに壇上へ。拍手喝采のなか、ランウェーを歩く2人。