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作家・食ジャーナリスト 山根泰典が綴る、食にまつわるよもやま話を集めた連載コラム。

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暴飲暴食なにするものぞ。自由港(フリーポート)香港を旅する度に街の至るところで朝な夕なに、漂う匂いが胃袋をくすぐる。それは例えるなら魚、蝦、猪、蟹、鶏、鮑、鴨子、牛、菜、韮菜、冬瓜、豆腐、茄子などの食材が包丁で型取られ、鹽・辣椒・蠔油・蝦醤・麻油・老抽・葱・薑などを絡めて味付けをして、炒、炸、爆、紅焼、灼、蒸で調理された混在する匂いなのである。

香港人の口が、舌が、喉が、食道が、胃が、鼻が、目が拒絶する食物を探すことは、砂の中から一本の釘を探すのに等しいと言えまいか。そんな香港人が魚を食とするなら、最も好むのが香港語で石斑魚と言われるハタ類の白身である。

一度だけ足を運んだことのある鯉魚門の海鮮売り場などは、水族館のようなアクリルのショーケースの中でヒレをパタパタさせた色とりどりのハタが、所狭しと“以食為天的香港人”に食べられるために泳いでいる。そんな香港人が好いて止まないハタの代表スジアラが、2019年4月に入って沖縄から香港に空輸されていることを耳にした。 香港2日目の晩は、そのハタを食べるのである。 2泊のうち1食1泊を終えて、起き抜けの朝食は九龍にあるコンジー&ヌードルの店へ行き、炸油条をちぎり、鮑の水煮入りお粥をチョボチョボ、フーフーとレンゲで啜った。その後しばらく同行の家族の買い物に付き合い、昼食はザ・ペニンシュラ香港で飲茶をつまみ、夕食までに胃袋がこなれるためにと、あちこちのショップショーウィンドウを眺めて歩いた。 さて2日目の夕食は、九龍サイドにある広東料理の名店「F魚翅海鮮酒家」を訪れた。(このレストランは湾仔(ワンチャイ)の店の方が少しこじんまりしていてる。何年か前まで銀座の東京温泉二階に支店を構えていた)ガラス張りの扉を入ると、金ピカに飾られた真紅の祭壇が供えてある。案内人に促され、脇のエレベーターで客席のある2階へ案内され、広々したフロアをトツトツと歩み、壁脇の席に着くと、この日も広東語の達者な知人が背の高い給仕人とメニューを広げ、ひとつひとつ私たちに説明しながら、舌打ちを繰り返すように聴こえる丁々発止のやりとりをしてひと通り注文を終える。すると知人はスッと立ち上がって、“目利きなんだからハタを選べ”と、おもむろに私を壁面の水槽に誘った。 泡ぶくが立ち昇る水槽の中は、大中小マーブル模様のハタがプックリした唇をこちらに向けている。活きが良く、スプーンのような丸い扇形の尾ひれを優雅に振るわせている。私は老鼠斑(サラサハタ)、イシガキダイに似た小豆斑点のある一匹を選んだ。

(ハタの中のハタ 老鼠斑)

まずはカリカリの皮つきチャーシュー(脆皮焼肉)をつまみ、サンミゲルで乾杯した。ここではブランデーをクラッシュアイスでいただきながら料理を食べる。(お茶は普洱茶)一皿目は「白灼基園蝦」 。甘海老ぐらいの大きさの茹でた小えびだ。アツアツの殻を剥いで唐辛子醤油につけるとチュルンとした身から淡い甘みが口に広がった。 続いて注文通りブロッコリーの炒め物と鶏の素揚レモンソースが供された。そしてついにこの日のメインである「清蒸老鼠斑」(サラサハタの清蒸)が搬ばれてきた。目の周りが白濁として口が突出し、張りのある皮目にネギの千切りがプクッとした身の上に散らばっている。一目瞭然、新鮮〆立て、蒸し上がり立てである。皿一面にピーナッツ油が回し掛けられ、醤油のたれからポワッと湯気を立てている。給仕人が大雑把に背身、腹身を適当に小皿に取り分けてくれた。小皿の切り身は箸でホロッとほぐれ、白身を汁に浸して口に入れると抜群の蒸し加減である。蒸されることによって、ほんの少しぢちこまった身質の旨味は悠々として気持ちが晴れてくる。私は大皿に残った頭とカマを小皿に移し、指でつまんで口に運んだ。頬と唇の肉をねぶってみる。ジンワリとしたゼラチンの馥郁(ふくいく)たる旨味が口に張り付く。 いつのまに知人が白飯を小茶碗で注文していた。煮魚のように皿に溜まった汁をかけて食べると美味いらしい。小椀に醤油汁をかけて食べてみるとハタの肉々しいエキスが嫌味なくストレートに伝わり、鮮醤という言葉が頭に浮かぶ。中国料理海鮮の極み、それはハタの清蒸であることに間違いはない。


文/山根泰典



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山根泰典(やまねたいすけ)/ 作家・食ジャーナリスト

1964年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、放送局に勤務。退職後、実家が営む老舗料亭に戻り、日本料理業界においては東京日本料理組合理事、日本料理文化振興協会理事、東京ふぐ連盟理事を歴任。その後、自身の体験に基づく老舗料亭における人間模様を描いた小説の執筆を機に、作家に転向し創作活動をスタート。日本の地方食文化や食材食味、流通、料理にまつわる取材・執筆を行う。また、昭和の時代の社会現象や戦争と平和をテーマにした創作活動をライフワークとしている。
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