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私が高校までを過ごした実家は長年にわたって増築・改築を重ねたために、ずいぶんおかしな間取りだった。脱衣場を突っ切らないと祖父母の居室に行けなかったり、洗濯機が犬小屋のそばの物置にあったりしたのもおかしかったが、いま思い出しても奇妙だったのは、廊下に鍵のかかった本棚が並べてあったことだ。

廊下を狭く、通りにくくするのがわかっているのに、なぜ本棚をそんなところに置いていたのだろう? ほかに置き場所はいくらでもあったのに。

ガラスのはまった重厚な木製の本棚には、「世界文学全集」や「日本文学全集」がものものしく並べられているのが見えたのだが、鍵がかかっているので子どもだった私は開けてみることができなかった。ところが、私が中学1年に進級する前の春休みのこと、母が私に鍵を渡して言った。「もう大人の本を読んでいいころだと思うから、廊下の本棚の本をどれでも好きなだけ読んでいいわ」 やっと大人の仲間入りをしていいと認められた気がして、とても誇らしかった。恐るおそる最初に手にとった一冊は「モンテ=クリスト伯」(アレクサンドル・デュマ著)。上下段組みで2冊あったその壮大な冒険物語を私は夢中になって読みふけり、その後「禁断の邪魔な本棚」にあった全集は残らず読みつくした。多感な思春期に本棚の本は大きな影響を与えたし、いま私が翻訳やモノカキをやっている基盤には、あのときの読書体験がある。

文藝春秋から定期的に出版されている「はじめての文学」シリーズは、若い人たちに向けて「小説はこんなにおもしろい!」と実感してもらうために、日本の作家たちが組んだ「自薦アンソロジー」である。村上春樹、小川洋子、川上弘美、林真理子など、日本のいまを代表する人気作家たちが、小説を読んだ経験がない人たちも楽しめて、なおかつ文学の持つ力を感じさせる作品を選んでいる。

最新巻の「山田詠美」は、『海の庭』『ひよこの眼』など、少年少女を主人公にした短編を選んでいる。自分がわからなくて、そのために人との関係もうまく結べなくて、それを教えてくれるはずの大人も自分のことに精いっぱいで余裕がなく、それでもなんとかして何ものかになりたいと突っ張ったり、傷ついてはまた立ちあがったりしている年代の少年少女たちだ。たぶん文学が必要なのは、そういう少年少女たちだろうけれど、文学なんて、ましてや「はじめての文学」なんてかっこ悪いとそっぽを向いてしまうのも彼ら彼女らだろう。

大人の扉を開けるとき

現代の複雑で厳しい社会を理解し、サバイバルしていくにあたって、小説を読んだってなんの役(もしくは得)にもならないだろう。所詮ヒマつぶしだったら、七面倒くさい文学なんかじゃなくて、ゲームやっていたほうがラクじゃないの? 少年少女たちが求めているのは、「情報」であって、文学なんかじゃない……そんな意見を撥ね飛ばすために、ぜひこのシリーズにはがんばってもらいたい、と私は願っている。 実家の薄暗い廊下にあった本棚が、私にとって広い世界への入口となったように、「はじめての文学」シリーズもきっと誰かにとって扉を開ける力となることを信じたい。

(text / motoko jitukawa)

『はじめての文学 山田詠美』 山田 詠美 (著)、文藝春秋刊 ¥1,300(税込)