music_main
「ビストロ・パ・マル」(パ・マルは「悪くない」という意味のフランス語)は下町の商店街のなかにある小さなフレンチ・レストラン。フランス料理といっても、出されるのはフランスの庶民がちょっと気張ったときにつくる家庭料理で、席数もカウンター7席、テーブル5つという小規模な家庭的雰囲気のレストランだ。

いや、レストランというよりも、もうワンランク下の普段着で出かけられる「ビストロ」。「ママの誕生日に何かおいしいもの食べたいね」という週末に、家族連れで出かけられるような気軽さがある。

そのビストロのオーナー兼シェフ、三舟さんが、お客さんたちが抱えている人生の悩みや、頭のなかにもやもやと渦巻いている謎を、料理を通して解き明かす。「ビストロ・パ・マル」で働くのは4人。料理人としての腕は一流だが、なぜか小さなビストロでスーシェフをつとめる志村さん。ワイン好きが高じてOLをやめてソムリエになった金子さん。語り手であるギャルソンの高築くん。この4人に加えて、収められている7編にビストロのお客さんが、毎回ゲストのように登場する。 本書が魅力的なのは、ひとつには三舟シェフ以下登場人物が人間味あふれる人々であることと、描かれる料理からふんわりやさしい香りやあたたかさが伝わってくること。長髪をしばって、無精ひげを生やし、無口でシャイな三舟シェフはもちろんのこと、愛想も見た目もよく、シャンソン歌手のすてきな奥さんに頭が上がらない志村さんもお近づきになってみたい。ドラマ化されるのを予想して俳優をあてはめていくのも本書を読む楽しみだろう。

そして紹介されている料理も、読む人の気持ちまでやさしくしてくれるものばかり。シロウトにはとてもできそうにない凝った料理もたまには出てくるが、多くは料理とおいしいものが好きな人にはマネができそうで、ちょっとした料理のコツが紹介されているのもうれしい。

悩みがあって体調がすぐれなかったり、嫉妬や恨みや自己嫌悪で気持ちがささくれだっている人たちに、三舟シェフがいつもそっと差し出すのがヴァン・ショー、ホットワインだ。大昔、フランスに留学していたときに、私もスーパーで安物のワインを買ってきてはこれをつくってよく飲んだ。ワインを鍋に入れてあたため、クローブやシナモンを入れて香りをつけ、ときにはオレンジなど果物を入れて飲む。寒い日には温まるし、安物のワインもワンランクアップして、悪酔いを防ぐ飲み方だ。

タルト・タタンの夢

本書を読み終わったあと、さっそくキッチンに立ち、料理用にととっておいた飲み残しの赤ワインでヴァン・ショーをつくってみた。たぶん三舟シェフのつくるものとは味や香りは大違いなのだろうが、なつかしさとともに、「いい本を読んだ」という思いに包まれてからだと心の芯からあたたまった。

(text / motoko jitukawa)

『タルト・タタンの夢』 近藤史恵著 東京創元社¥1,575(税込)