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私には妄想癖がある。ショッピングに行くと、石油王の第×夫人になって、欲しいものを全部買いまくる私。机の前に座ると、ベストセラーを量産する人気作家になった私(ちょっとなまなましい?)。そして、お風呂のときに全身鏡の前に立つたびに「メリハリ・ボディになった私」の妄想にふける。

しかし、妄想はいつの間にか、せつない、そしてせちがらい願望へと形を変える。「きゅっとしまった足首から長くまっすぐに伸びた足はいまよりも7センチ長く(ビミョーに遠慮がち)、ヒップは背中のほうで小山のように盛り上がり、ウエストはくっきりとくびれていて、バストはいまより5センチ高い位置で、押すとはね返すほどの張りがあって、自然にしていても谷間ができて……」鏡の前でおなかを引っ込め、乳房を両手で持ち上げて真ん中に寄せてみる。うーん、無理がある。Cカップのバストは、かつてはちょっと自慢だったこともあるが、年月を経るうちにただのしなびた脂肪の塊。セクシーさからはほど遠い。

そんな私が巨乳の本を翻訳した。著者はHカップである。私の妄想を越える大きさ。うらやましさを通り越して、「どんだけ〜」と言いたい。最初のほうは「巨乳ってたいへんなのよ。重くて肩が凝ってしょうがないし、夏なんか薄着で街を歩けば男がはーはーヨダレをたらしながら追いかけてくるし、規格外のサイズだからブラはリゾート地の往復ができるくらい高額になるし……」と、平凡なCカップからすると許せないほどの「自慢話」が続く。しかし「自慢」だか「不満」だかを書き連ねながらも、ちょっとエッチな話を織り交ぜてげらげら笑わせ、ときどきチクリとくる刺激を仕込んでいる、という書き方はさすが手練のジャーナリストである。

ところが「自分のなりたい身体になる……ってホント?」のあたりからは、ユーモアたっぷりの口調は変わらずとも、重たい問題提起が突きつけられる。おっぱいのことなんかまったく関心がない、という人(男性にはいない、と思うが、どうでしょう?)でも、自分の身体に何かしらの妄想を抱いたことはないだろうか? 「×キロやせてモテる私」とか、「がっちりした胸に女を抱く俺」とか、「シワやシミが一つもない陶器のような肌」とか、「黒々、ふさふさの髪」とか。鏡の前で「そんな完璧な身体」を自分がモテるような妄想を抱いて、「なんとかしなくちゃ!」と高額の化粧品や整髪料を買ったり、ジムに通ったり、サプリメントを取り寄せたりしたことはないだろうか? そういうことをまったくしたことがない、という人のほうが現代は少ないだろうし、「自分のなりたい身体になる努力」をしない人を、怠けもので社会性がない、と切って捨てるほどの雰囲気がいまの世の中にはある。

著者はおっぱいを切り口に、現代人のそんな身体意識にメスを入れる。もっと平たく言えば「お金を払えば欲しい身体が買えるというわけではない」という警告を発している。おっぱいを大きくしたら幸せになる……というのは妄想だよ、と肩をたたく。

巨乳はうらやましいか?

しか〜し、この本には「それでもかっこいい身体になりたいよね」という人のための、ちょっとした実践的アイデアも仕込まれているのだ。たとえばブラのつけ方ひとつでおっぱいは変わる、という話。最近の私は、お風呂あがりに妄想だか願望だかに費やす時間を減らし、ブラをつける時間は確実に延ばしている。自分にあったブラを労を惜しまず探し、ていねいにつけると、Tシャツやセーターが自信をもって着られるようになる! そんなブラのつけ方についての詳しい話も書かれているので、お得感もある。たかがおっぱい、されどおっぱい。巨乳、凡乳、貧乳を問わず、「おっぱいはすごい!」ことが実感できる本です。

(text / motoko jitukawa)

『巨乳はうらやましいか?ーHカップ記者が見た現代おっぱい事情』 スーザン・レリグソン著実川元子訳、 早川書房 ¥1,470(税込)