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ジョナサン・コットはニューヨークに住む著名な作家で、『ローリングストーンズ』誌創刊時から優れたインタビュアーとして、数々の話題となる記事を書き続けていた。だが彼は、長年にわたって躁期がない重度のうつ病と自殺願望に悩まされ、精神科医にかかって合計36回もの電気ショック療法を受けた。

それが原因で脳が損傷を受け、1998年5月4日からコットは過去15年間の記憶をすべて失ってしまう。

幼い頃や少年時代までは覚えている。だが、青年になってからのやってきた仕事、築いてきた人間関係、読んだ本、社会的出来事などすべての記憶を失った。住所録にある名前が誰だかまったく思い出せないコットは、一人ひとりに電話をかけて、記憶を失ったことを説明したうえで「自分はあなたのどういう知り合いだろうか? 教えてほしい」と聞くことで、15年間の記憶の空白を埋めようとした。いつ、どこで知り合い、どんな関係を築いてきて、自分が何をしていたかまで他人の記憶によって過去を再構築する、という「記憶をつくる旅」は現在もまだ続いている。そのつらく終わりのない旅を続けながら、コットは改めて「記憶とは人間そのものである」と気づく。自分が自分であることを、自分に証明するのは記憶だけだ。過去、現在、未来という時間の流れのなかに自分が存在していることを証明できるのも、記憶だけだ。そこでコットは考えた。それでは記憶とは何かについて考えることで、人間とは何かが見えてくるのではないか。

記憶のメカニズムはどのようなものなのか? 人は記憶することと忘れることをどう選別しているのか? アルツハイマー病によって記憶が失われることと、精神的なショックで記憶喪失になることの違いは? 無意識の記憶と意識的な記憶があるのか? 前世の記憶というのは本当にあるのか? 記憶はどんな風に人間を人間らしく生かしているのか? そんなことを知るために、コットは記憶にかかわる仕事をしている人々を訪ねてインタビューした。 脳神経学、精神医学、心理学などの分野において、記憶について現代の最先端の研究にたずさわる学者たちとの対話とともに、アフリカの口碑伝道者、チベット仏教、ユダヤ教といった宗教者が記憶をどうとらえてきたかについても語る。科学と宗教とでは記憶に対するアプローチの方法はもちろん違うのだが、科学者も宗教者も「記憶が人をつくる」もしくは「記憶によって、人は生きていくことができる」と考えている点で共通している。

奪われた記憶

本書はインタビュー形式をとっているが、基本的にはコット自身の記憶と忘却をめぐる旅である。記憶を失うというのがどれほど苦しいことなのかが行間からにじみでてきて、途中で読むほうも苦しくなるほどだ。これまで「人の名前が覚えられない」とか「一晩寝たらいやなことは全部忘れる」とか軽々しく口にしていたが、それがどれほど重い意味をもっているかをあらためて考え直した。 読後もう一度思う。「記憶とは、人そのものである」

(text / motoko jitukawa)

『奪われた記憶――記憶と忘却への旅』 ジョナサン・コット著、鈴木晶訳 求龍堂 \\ 2,730(税込)