music_main
文学作品のテーマとして取り上げられるもののなかで、もっとも大きいジャンルの一つが「病気」ではないか。病気といっても幅広くて、医学(とくに西洋医学)的に名称がつけられ分類されている「疾病」から、何か変わったことをしでかして「あの人、ビョーキじゃないの?」とカタカナで揶揄されるタイプのものまでいろいろである。

だが、病気は何かしらのドラマを生み、人の身体だけでなく、心にきしみを生じさせる。それが作家の「書きたい」という動機につながるのではないだろうか。 病気とは、穏やかな湖面にいきなり石が投げ込まれるようなものだ。水しぶきがあがるだけでなく、波紋が広がり、水鳥が飛び立ち、魚たちは逃げる。病気が引き起こすそんなダイナミックな変化を観察して書かれた作品には、人間の複雑に入り組んだ面がとらえた秀作が多い。

本書は、神経内科医が専門分野を通して文学を読んだエッセイ集である。神経内科とは「脳、脊髄、末梢神経、そして筋肉の病気を扱うもので、具体的な病名には、脳卒中、パーキンソン病、アルツハイマー病、脳腫瘍、(中略)頭痛、てんかん、脊髄疾患、多発性硬化症、末梢神経障害などが挙げられる」と著者は説明している。 文学作品中に出てくる神経内科系の疾病だけでなく、作家自身や家族の病気と作品との関連、また作品が書かれた時代にそういった病気がどう研究されていたかまで言及されていて、とても興味深い。文学は人の精神や社会を映し出しているだけでなく、文字通り肉体そのものを描いているのだとあらためて気づかされる。 たとえばアーサー・L・コピット『ウィングス』では失語症が取り上げられる。舞台劇のこの作品は、曲乗りの飛行家だった女性が、事故によって失語症になり、言語療法を受けてしだいに言葉を取り戻す、といったあらすじである。この作品を紹介しながら、著者は失語症とはどのような病気なのかを説明する。失語症の患者は言葉が聴き取れず、しゃべれないために、一見言語能力を失ったのではないかと思われるが、そうではなく「外の世界に対して閉ざされてしまったのだ」と指摘する。失語症になっても、外の言語世界をちゃんと認識しているし、自分の内なるイメージを豊かに保ち続けることができるのだそうだ。

ベストセラーになったベルンハルト・シュリンク『朗読者』では、文字を読み書きする神経機構についてふれる。人間の脳は、どの部分で、どういうメカニズムで文字を読み書きするのか? 人類が文明を築くために必須だった文字を解読する能力と、その障害について語ったこの章は、本書の真骨頂だろう。 著者は読み書き障害のある患者を診察し、検査した体験を踏まえながら、『朗読者』の主人公の恋人のハンナが、文盲であるが故の孤独と哀しみについてこう書く。

神経内科医の文学診断

「書棚にずらりと並んだ本、それは自分(注:ハンナのこと)にとっては接することが許されない神秘の世界である。その世界は、自分の満ち足りない心を潤し、慰め、そして勇気づける言葉に満ちているはずなのに、無情にも自分に対してだけは、完全に閉ざされた世界なのだ」 病気や障害のきめ細かい観察を通して、複雑で奥深い人間をとらえること――医者と文学者がやろうとしていることは、根底のところでつながっている。

(text / motoko jitukawa)

『神経内科医の文学診断』 岩田誠著 白水社/\\1,995