『この自由な世界で』
例えばあなたの友達が、ものすごーく好きな男と付き合い出すが、「お互い束縛しない自由な関係でいよう」と言われたとする。彼女は惚れた弱みで、つい承諾してしまった。でもやっぱり……と思い直すが、男には「じゃあ別の男とつきあえば?」と言われてしまう。

彼女は「彼ナシでは生きられない」状態で、手も足も出ない。誰かの自由と、それが引き起こす誰かの犠牲が、これくらいはっきりワンセットになっていれば、あなたも「それって自由じゃなくて身勝手っていうんじゃないの?」と気づくだろう。でもそう単純じゃないのが世の中だ。

話は変るが、私は小麦がないと死ぬ女である。かつての我が家は訪ねてきた誰もが「パン屋か!」と突っ込みたくなるくらいの状況で、キッチンの吊り戸棚には強力粉・中力粉・薄力粉がそれぞれ2キロずつ、常時ストックされていた。ところが昨今の理不尽な値上げである。でも粉を買うことを止められるわけがない。死ぬもん。ワッフルやシナモンロールやピザを作って食べることは、原稿合間の数少ない小さな幸せなのだ。さてここで問題。私に代表される“粉クレイジー”の犠牲の裏側で、自由を謳歌してるのは誰でしょう。答えは、投資家です。投機による石油の値上がり→穀物燃料への期待→投機による大豆の値上がり→小麦農家が大豆農家へ鞍替え→小麦値上がり。世界同時インフレなんて知ったこっちゃないね、こちとら好き放題投資してたんまり儲けるんだよ、自由市場経済なんだから、って人である。

『この自由な世界で』

洞爺湖サミットでは、「それって自由じゃなくて身勝手っていうんじゃないの?」と言ってくれる人は、誰もいなかったけど。

だがこういう身勝手を、自分もまた犯してしまう可能性があることを、『この自由な世界で』は教えてくれる。自分の幸せのための犠牲が見ず知らずの他人なら、人間は意外と残酷になれてしまうものなのだ。値上がりした粉――いや、粉だけじゃなく、バターとかニンジンとかパスタを見て、私は思うのだ。誰も犠牲にしていませんようにと。 (text / Shiho Atsumi)

『この自由な世界で』

『この自由な世界で』 

監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:キルストン・ウェアリング、ジュリエット・エリス、レズワフ・ジュリック
配給:シネカノン
劇場情報:8月16日(土)より、渋谷シネ・アミューズほか全国順次ロードショー
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