潜水服は蝶の夢を見る
ブードゥー教の本場ハイチでは、ゾンビは実在するらしい。いきなりだが。映画では誕生の理由が“謎のウィルス”であることが多いが、本場ではフグ毒から作られた“ゾンビパウダー”だ。こいつで生きてる人間を仮死状態のまま埋葬すると、墓から這い出したときには脳の一部が損傷している。

なんでゾンビを作るかといえば、奴隷にするのである。ゾンビは思考が停止していて、そのために一説には疲れ知らずで働くらしい。

おそろしー別世界のことのように聞こえるが、かる〜いゾンビ状態の人は世の中に意外と多い。例えば私の両親世代は「女は家事、男は仕事」なんてことを意外とマジで言ってたりする。そりゃ食事はオール外食&インスタントの20代を見ると「味噌汁ぐらい作らんかい!」と吼えることもあるが、センスなしの女メシよりセンス抜群の男メシのほうが100倍美味しいことも知っている私は、「なんで?」と素朴に聞き返す。相手は「女のほうが器用」とか「子供を産むから」とかテキトーな理由を並べた挙句、最終的には真顔でこう答える。「普通は、そういうもの」。これぞ思考停止。ゾンビ状態だ。だって仕事がぜんぜんできないグズグズ男もいるし、全自動洗濯機は干すのも全自動と思い込んでいる女もいるし、名シェフは男ばかりだし、事情で子供が持てない女もいるでしょうが。「そういうもんだ」と答える人の理由はたいていが後付け、「そういうもんだ」と教えられたことを、疑いもせずにそのまま受け入れただけなのだ。

潜水服は蝶の夢を見る

もちろん別の理屈でもいい。「貧乏は不幸」とか「背が高いとモテる」という一般論には、例えば「金持ちだけど不幸」とか「身長180cmで総スカン」のような無数の例外があって実はぜんぜん一般化なんてできないのに、ゾンビ状態の人は思考が停止しているので固定観念から逃れられない。私はふと考えてしまう。そういう人って、自分の“普通は”が不幸の側に立たされた時、どうやって幸せになるんだろう? “普通は”幸せな状態を目指して、何も考えず走り続けるんだろうか。背の高いモテ男目指して、毎日牛乳2リットルとか飲むんだろうか。成長期過ぎたら、背は伸びないけど。

『潜水服は蝶の夢を見る』は、そんなゾンビ状態の人にこそ見てもらいたい。「実在の」主人公のジャン・ドーは、脳梗塞で意識や思考は明晰なのに左目以外が全身麻痺という「閉じ込め症候群」に陥った男だ。前職はファッション誌『ELLE』の編集長。この急転直下は“普通は”ものすごく不幸だが、実際はどうなのか?  例外は無数にあるのである。 (text / Shiho Atsumi )

潜水服は蝶の夢を見る

『潜水服は蝶の夢を見る』

監督:ジュリアン・シュナーベル
原作:ジャン=ドミニック ボービー
脚本:ロナルド・ハーウッド
出演:マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエ、マリー=ジョゼ・クローズほか
配給:アスミック・エース
劇場情報:2008年2月9日、シネマライズ、新宿バルト9ほか全国にて公開
©Pathe Renn Production-France 3