和ペリティーヴォなリトアニア
一度だけロシアに行ったことがある。といっても一番東の端の街で新潟空港から2時間弱で到着するウラジオストック。しかし、ロシアには変わりなく、元ソ連という、どこか独特の重厚な空気が残っているのが印象的だった (写真上)石畳の雰囲気がどこまでも歩きたくなります。そして、いつも迷子になるのだけれど

和ペリティーヴォなリトアニアソ連時代ならウラジオストックの反対側とも言える西側にあたるリトアニア。90年代初頭にソ連から独立したとはいえ、まだまだ、この国も重厚な空気が残っているのだろうと思っていた。いつものように国の治安状況だけ頭に入れ、観光名所も文化も予習しないでビリニュスの空港に降り立った。

影響を受けやすい僕はガイドブックの知識で、その国のイメージが固まってしまうのが嫌なのである。ただ単にガイドブックの細かい文字を読みたくない言い訳なのだけど。よって逆に偏ったイメージで散歩を始めることになり、予想外の連続を味わうことになる。結局、散歩の後、ネットのガイドサイトでお世話になり、気になった場所に、もう一度行くのである。ビリニュスの散歩は、まさにその連続。もちろん、ソ連時代の銅像やキリル文字も残っていたが、そんな場所はごく一部だった。

(写真左)ナポレオンがこの教会のレンガに惚れ込んで持ち帰りたいと言った聖マリアンナ教会

リトアニア語というラテン語と並び、歴史上でも古く、難しいと言われる言語を操る人々はソ連統合時代もロシア語は第二外国語で公用語にはリトアニア語が認められていた程、彼らは独自の文化を持ち、一目置かれていたと想像がつく。その分、迫害も受けたことがKGB博物館のような負の遺産から知ることができる。ちなみに独立後、第二外国語は英語となり、現在、英語は理解できるが、ロシア語が理解できない若者が増えているとも聞く。

和ペリティーヴォなリトアニア この国のオペラやクラシックのレベルの高さはもちろんだが、新しい若者達が生み出す新しいアートやコンテンポラリーダンスは、今後、更に発展しそうである。どこか北欧の雰囲気に近い部分もあり、日本人が好きそうな国だと思うのだが、全くと言っていいほど日本人を見ない。現在、日本からの訪問者数は年間9,000人程度。単純計算で一日30人と考えれば見ないのも無理はない。セカイサンポの間、どこの国に行っても日本人観光客ばかりを見てきた僕には逆に新鮮で、どこか心地いい時間だったりもする。

(写真右)街並みを見ているとソ連というよりは、ヨーロッパという感じを受けます
イシコ

イシコ

1968年生まれ。ホワイトマン代表
大学卒業後、女性ファッション誌編集長、Webマガジン編集長を経て、期間限定のホワイトマンプロジェクトでは白塗りで様々なコンテンツを生み出す。現在は「セカイサンポ」と称し、文字通り世界を散歩中。散歩の達人の連載コラムなどコラムニストやブロガーとしても活躍している。

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