シリアの花嫁
コンカツ、流行っているらしい。就活の結婚版、婚活である。言葉のマジックってすごいものだなあと思う。だってちょっと前なら「次に付き合う人とは結婚前提と思ってる40代未婚女性」というヘビーかつパッとしない言葉で表現されていた人々が、今や「婚活中のアラフォー女性」だ。

中身は全然変わらないのに急に垢抜けちゃった感じだし、下手すりゃ男よりはるかに優位に立っていて、“そこまで必死じゃないけど、いい人がいたら結婚してもいいかな〜”みたいな余裕すら感じさせる。何しろライトタッチである。結婚=人生の一大事みたいな感じがぜんぜんないのだ。

『シリアの花嫁』は、コンカツ的結婚とは対極の結婚を描いた映画である。映画自体は笑いと涙の騒動に満ちたある結婚式の1日を描いているのだが、主人公ナラの置かれている境遇がややこしい。彼女が住んでいるのは第三次中東戦争以来、イスラエルが占領しているゴラン高原。そこの住人は戦争で分断された親類がシリアにいるし、自分たちもシリア人だと思っていて、イスラエル国籍を取得することを拒否しているから無国籍。もし一度でもシリアに入国するとシリア国籍が確定しちゃうんだけど、そうすると国交を断絶中のイスラエルには再び入国できず、故郷のゴラン高原にも二度と帰ってこられない。ナラは結婚相手を写真でしか見たことがなく、それなのに泣きつける親とは二度と会えないのだ。

シリアの花嫁

まさに人生の一大事、「女の道は一本道」の篤姫状態である。比較しても彼女らの結婚はすごくよく似ている。二人とも結婚する前に相手に一度も会ってない。父方のいとこと結婚することが多いというアラブ世界の結婚は、何よりも親族の絆の強化が目的である。ナラの場合、政治的・宗教的な理由もある。一方、篤姫の結婚の目的は、行ってみれば故郷・島津藩の諜報活動である。優先順位や目的意識がはっきりしている上に、状況的にもちょっと後戻りはできそうにない。愛とか恋とか甘ったるいものは介在しない。篤姫なんざ正真正銘のバージンクイーンである。彼女たちが潔く見えるのは、案外「結婚てのはそーゆーもんだ」という問答無用の世界なのかもしれない。それは苦難の一本道だが、腹を据えれば結婚はできるのだ。

映画を見て、コンカツ奮闘中のアラフォーの結婚に立ち戻ると、そこは何でも主張できるお気に召すままの世界が広がっている。誰かに頼りたい。自由は楽しい。一人は寂しい。子供が欲しい。愛する人じゃなきゃイヤ。“結婚”がしてみたい。誰かの奥さんと呼ばれてみたい。でも誰かの奥さんとしか呼ばれないのはイヤ。ひとつのために他をすべて捨てられたらいいんだろうけど、そもそも何が一番欲しいのか、よーわからん。それはハッピーな迷宮みたいなものに思えるのだ。(text / Shiho Atsumi )

シリアの花嫁

『シリアの花嫁』
The Syrian Bride

監督:エラン・リクリス
出演:ヒアム・アッバス、マクラム・J・フーリ、クララ・フーリほか
劇場情報:2009年2月21日(土)より、岩波ホールにてロードショー!
他全国順次公開
配給:ビターズ・エンド
2004年フランス・ドイツ・イスラエル合作映画