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私は今年になって、遅まきながら宇江佐真理のファンになった。毎晩ベッドにもぐりこんでからの30分間、江戸の下っ端の武士や下町に暮らす市井の人々とともに泣いたり笑ったりしながら、宇江佐ワールドにどっぷりつかり、やさしい気持ちに包まれて眠るのが習慣である。

宇江佐真理といえば、なんといっても髪結い伊三次のシリーズが有名で、歌舞伎でも上演されている。

伊三次は店を構えず、道具をもってお得意先を訪問して髪を結って手間賃をもらう「廻り髪結い」である。職業柄、江戸の町を歩き回ることを買われて、深川を仕切る同心、不破友之進の小者をつとめている。深川芸者のお文とは事件の捜査を通じて知り合い、以来互いに惹かれあって恋仲だ。シリーズは伊三次がかかわる数々の事件が短編で描かれるが、髪結いと芸者の恋が軸となって物語は進んでいく。

しかしその恋の描き方がとても現実的だ。伊三次の稼ぎは少ない。いずれは店を構えて、お文に芸者をやめさせたいと願い、小者という副業にも精を出すのだがなかなか思うように事は運ばない。お文はお文で、年齢を重ねるごとに芸者という職業の行く末、生活とお金のこと抜きに伊三次との関係が考えられない。お互いに「この人のいない人生は考えられない」と心の奥底では思っているのだが、現実を見ると相手を思うほどにその気持ちは口に出せない。抱き合いながらも、頭の片隅にどこか覚めたところで「ほんとにこの人と一緒になるのが、相手にとっていいことなのだろうか?」と考えてしまう。伊三次は自分の経済力のなさが引け目だし、お文は芸者という身分が引け目だ。宇江佐真理はそんなもどかしい2人の恋を、淡々と描く。

黒く塗れ

恋はおとぎ話ではない。王子様とお姫様がひと目会った瞬間に恋に落ちて、結婚して、めでたしめでたし。おとぎ話ならそれもいい。しかし現実には、恋は「めでたし」にいたるまでも醜い(?)エゴのぶつかりあいがあり、「めでたし」のあとには、あごが外れそうなほどあくびの出る倦怠の日々が待ち受けている。

しかし「ああ、やっぱり私はこの人がいないと生きていけない」と思う瞬間がある。他人から見たらささいな出来事かもしれない。「愛しているよ」と言葉に出すわけでもない。それでも恋をした2人だけに、お互いの気持ちが感じ取れる瞬間である。宇江佐真理はその瞬間をとらえて描くのがとてもうまい。

このたび文庫になった「黒く塗れ」におさめられた6つの短編のなかでは、とくに最後にある「慈雨」にそんな恋が描かれている。恋人との間の温度差に悩む人、恋にまっしぐらになれない自分がもどかしい人、そんな人の心をきっとくすぐるはずである。

(text / motoko jitukawa )

『黒く塗れ――髪結い伊三次捕物余話』 宇江佐真理著 文春文庫 \\570(税込)