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恋はするものではない、落ちるものだ、と言ったのは誰だったか。自分でもはっきり気がつかないうちに、恋は始まっている。なんだか気になる人がいる。いや、ほんとただ気になるだけ。だいたいあちらは私のことなんて眼中にないし……うじうじ、もんもん、どきどき、わくわく……その時点ですでに恋だ。

そして、そういう時期が恋で一番楽しいのかもしれない。 でも、そんな古めかしい気分から始まる恋なんて、いまどきの中学生でもやっていないだろうか?

時代設定は昭和7年。場所は現在の日暮里。 旧東京府下北豊島郡だった地域が、荒川区日暮里と名称を変えたころから話はスタートする。小説の舞台となるのは、暮愁先生が主宰する句会で、そこに出席するようになった3人のうら若い女性たちを中心にストーリーが展開する。 短編オムニバス形式になっているそれぞれの章で主人公となるのは、父親が病気で急死し、父の遺志をついで句会に出席することになった令嬢、阿藤ちゑ。そして東京女子医学専門学校に通い、そこで教える先生に勧められて俳句を始めた池内壽子。そして句会が開かれた屋形船に呼ばれて一句披露したことから、句会に出席することになった芸者の松太郎の3人である。

暮愁先生の自宅で、月1回開かれる句会は3人の女性を加えて7名ほどの小規模で、なごやかな雰囲気のなかで開かれる。句会の場においては、年齢も社会的地位も男女も関係ないが、時代の波は彼らのもとに容赦なく押し寄せてくる。満州国建国、白木屋火災、日本の国際連盟脱退、プロレタリア作家、小林多喜二(昨年流行した「蟹工船」が有名)の検挙・虐殺……など動乱の日本社会が、彼らの生活に、恋に、そして俳句にさえも影響を与え、ともすると暗い影を落としかねない。

この小説の読みどころは、なんといっても句会で俳句がつくられ、披露されていくシーンである。社会生活を送っていれば必ず生じる複雑な人間関係や、自分ではどうしようもない運命に翻弄されるときの感情──失望、嫉妬、後悔、あきらめなど負の感情だけでなく、希望、感動、喜び、共感などプラスの感情も──を、五七五の17文字のなかに、どうやって昇華させていくか。社会背景や登場人物のそれぞれの心象風景なども語られるが、それはあくまでも前振りであって、その感情をどう俳句のなかに読みこんでいくか、プロセスがたいへんおもしろい。 季節をうたった俳句のなかにほとばしるようにあふれてくる恋の言葉で、初めて恋を意識する女性。かなわない恋の苦しさを、俳句に詠むことで美しい思い出に変えようとする男性。そんなシーンを読むと、人間は言葉によってはじめて感情を意識できる、という脳学者の説に納得する。

恋は気づかないうちに始まっている。だが、落ちるだけでは恋にならない。 ちゃんと恋するためには、やはり言葉が必要なのだ。 恋をしたい人、恋を実らせたい人、この感情は本当に恋だろうかと悩んでいる人にお勧めしたい小説である。

(text / motoko jitukawa)

俳風三麗花』 三田 完 文春文庫・¥660(税込)