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2010 年代の今、90年代のファッションを振り返ることは難しい。それは、ヘルムート・ラングが当時のヘルムート・ラングではないこと、さらに危機的な状況は メゾン マルタン マルジェラが以前の、数多くのアーティストたちをファッションの世界に振り向かせたメゾン マルタン マルジェラではまったくない、という事態による。

両ブランドとも、その「名前」をもつ人物であり、80年代終わりから90年代初頭にかけてファッションをより美しいものへ、より日常に近いものへ、よりモダンなものへと改革することに大きく寄与した当事者たちは、デザイナーの座を去った。それでもブランドは、彼らの名前を冠したまま続いている。

ブランドとは、そういうものかもしれない。しかし、ラングやマルジェラのように90年代、時代を大きく刷新したデザイナーのことを書き記しておきたいと思う私は、例えば最近の、メゾン マルタン マルジェラがパリの老舗ホテル「ラ・メゾン・シャンゼリゼ」のインテリアを担当する、というニュース発表を聞くと、考え込んでしまう。その、なんともいえない違和感について。

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90年代、パリコレ取材中に訪れたマルジェラのメゾンは、「ここは世の中で一番格好良い場所なのではないか」と思わせる、D.I.Y.精神による白ずくめの空間だった。それは「ぜいたくのため」ではなく「必要にかられ、今あるもので快適にすごすための、お金を使わなくても美意識からできるちょっとした工夫」によって生まれたインテリアであった(その発想はまた、彼らの服作りの姿勢にも繋がっていた)。もとはといえば、贅沢さから最も遠い場所で起こったD.I.Y.による空間演出が、20年後の今、そのために大枚をはたくことができる者だけが特権的に利用する、ラグジュアリーな5ツ星ホテルの空間に変貌しようとしているのである。

いつだったか、90年代のどこかで。メゾン マルタン マルジェラのスタッフにアトリエの雰囲気を褒めると、メゾンをぬりつくしているペンキはベルギー産の白を使用している、と聞いたことがある。どちらかというと、ほんのりと黄ばんだ感じ、廃墟の美を感じさせる、すこし懐かしい感じのある白であった。ペンキの産地までデザイナーの出自にこだわる一貫性は、感動的だと思った。今年、2010年はじめにメゾン マルタン マルジェラから発表された、ボルドーのホテルにおけるスイートルームのデザインプロジェクト(8万円のスイートルーム)、そして10年ミラノサローネで発表された家具cerruti baleri社とのコラボレーション。以前のメゾンのペンキの白と、これらの空間や家具の白はまったくの別物の白、虚飾の白である。

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ここで学ぶことは、あたらしいもの、世の中にまだないものをつくろうとするとき、人を納得させる一貫性というものは、どう考えても、一人の人間から発するものであるということだ。「その人」がいなくなってしまっては、駄目なのだ。

90年代のマルタン・マルジェラは、実に多くの人を感動させた。それは、世界からみたらアートシーンに近い場所にいる、人数としては一握りの人だったかもしれない。それでも、その感動は人に深く根を張り、そのブランドへの忠誠心や愛着を抱かせるものだったのだ。メゾン マルタン マルジェラの現在のあり方は、残念でならない。


写真:著者所蔵の本「La maison Martin Margiela:(9/4/1615)」より

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