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最新技術だからといって、やたらに3D作品を作る映画界の傾向に、ちょっと不満だった今日この頃。ついに、「これこそ3Dで観て良かった!」と思える作品に出会った。ヴィム・ヴェンダース監督の最新作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』だ。

天才舞踏家にして振付師のピナ・バウシュと、名匠ヴェンダースは同じドイツ出身。親しく交流していたという。長年のつきあいの中から、ともに映画を作ろうという話になったのはもう20年も前のことだそうだ。それならばなぜ、こんなに時間がかかってしまったのかと思う人もいるだろう。
今年10月に行われた第24回東京国際映画祭には、ヴェンダース自身が来日。舞台挨拶で作品に込めた想いを語り、ちょっと切ない制作秘話についても触れた。20年もかかってしまった理由については、「ピナの素晴らしい踊りを映像化するすべがなかったから」と説明。彼女の精神や世界観を平面的に捉えることに、残念ながら限界を感じてしまったのだろう。“とりあえず”記録しておくということにも抵抗を感じたはずだ。それは、ピナを敬愛し、映画を愛していたからなおのことだったのだろう。そうこうするうち、20年が経っていたというわけだ。

本人いわく、「最初に話が出てから、会うたびにピナは“どう方法は見つかった?”と僕に聞くようになりました。でも僕の答えはいつもNO。やがて、ピナは僕に向かって言葉を発せず、眉毛をきゅっととあげるだけになりました。それに対して僕が肩をすくめる。そんなことが長年繰り返されるようになったんです」。

ところが、そんな二人の“儀式”にもやっと終わりがやってくる。「あるとき、『U2 3D』を観てこれだと思ったんです」。『U2 3D』は、世界的ロックバンドU2が2005年から始めた「ヴァーティゴ・ツアー」が、メキシコ、ブラジル、チリ、アルゼンチンの南米4か国で開催した公演に密着したドキュメンタリー。最新のデジタル3D技術を駆使して収めたこのコンサート・フィルムは、会場に居合わせたかのような臨場感が体感できると話題になっていた。ヴェンダースが手段を見つけたことで、話はようやく進みだす。ピナもこの知らせを大いに喜んでいたという。ところが、映画制作を阻むかのように、悲しい出来事が起きてしまった。
「2009年の秋にはクランクイン予定だったのですが、その年の6月30日にピナが亡くなりました。僕はひどくショックを受け、そして、制作をキャンセルしたんです」。

大切の友人の死、果たせなかった約束を前に、彼の気持ちはどんなだったろう。そして、永遠に機会は失われてしまった。少なからず、もうちょっと早く手段を見つけてさえいればとヴェンダースは自分を責めたのではないだろうか。ピナのいのちの躍動を正当に映像化できる人はヴェンダース以外にはいなかったであろうことは、きっと本人にもわかっていたはずだ。もちろん、彼はそんなメランコリックな感情については語らなかったが。

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そんな大きな喪失感を抱いた彼を支えたのは、ピナが率いてきたヴッパタール舞踏団のメンバーだったという。彼らは、ピナが亡くなった日の夜も踊り続けていたのだそうだ。ダンスに人生を映し出すことをピナから学んだ後進たちはきっと、踊ることこそ代えがたい鎮魂になるのだと知っていたのだろう。そんな彼らの姿に背中を押されたヴェンダースは制作再開を決意。紆余曲折を経て完成した本作は、今年のベルリン国際映画祭で披露され、ヨーロッパ各国で大ヒットを記録したという。アート作品では世界初の3D作品だ。
「ピナと作ることはできなかったけれど、ピナのために作ることができた」。そう語るヴェンダースは、“約束の作品”を前に、とても誇らしげだった。

本作では、代表作の数々を通してピナの人生の軌跡が見えてくる。彼女の姿はさほど多く映ってはいない。だが、むしろ本人の姿がないときにこそ、ピナがこの世にのこした“無形の遺産”が、ダンサーたちに手渡していった精神が、いきいきと輝いてくるようにさえ感じる。彼女の魅力を語るのにも多くの言葉は割かれていないが、“無形の遺産”たちが、雄弁に彼女を物語っている。こんな風に、亡くなった後も鮮やかに存在することができるなんて。作品に宿るピナの精神を通して、彼女の息遣い、彼女の気配まで感じられるようだ。

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息詰まる愛、悲しみ、喜び、悼み。なんという臨場感なのだろう。銀幕にはとても収まりきらない人間たちの営みを、ピナだけがなし得た表現を、スクリーンを通してどう伝えるか、ヴェンダースが悩んだのも無理はない。技術によっては、それを正当に伝えられるが、台無しにする危険もある。それを知る監督だから、20年間も悩み続けた。正しいアプローチでなければ、やらないほうがいいと。ピナはきっと、そんな純粋にして良き理解者のヴェンダースだから待ち続けたのだ。すべてを信じて。

そんな信頼関係が結実したのが本作だ。本人は出演できなかったが、作品を観ればピナ自身にとってそれはあまり問題でなかったのではないかとも思えてくる。それほどまでに、この作品からは欠落したものを感じない。結局のところアーティストとは、死後もさまざまな形でいのちを輝かせ続けるものなのだ。もしかすると、それが期せずして強調された本作こそ、ピナがヴェンダースとともに作ることを望んだ理想形なのではないだろうか。


『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』