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マーク・ボスウィック
「Abandom Reverie`」、2014 年
35 ミリスライドフィルムプロジェクション
© 2014 Mark Borthwick Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film


マーク・ボスウィックの個展が六本木AXISビルのタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムで開催されている。(会期:10月18日土曜日まで)

夢で繰り返しみていた光景を再現した3面のスライドプロジェクションに、彼が住むNYで録音してきた音と、詩を日本語で朗読する音声(朗読協力:花代)が響く。マークが自ら設置していった、コンクリートブロックと板でできた簡易ベンチに座ってその映像を眺めながら、これまでの彼との関わりや、今回の設営時に聞いた話を思い出す。
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マルタン・マルジェラやコム デ ギャルソン、ブレス、スーザン・チャンチオロ、そして妻であるファッションデザイナーのマリア・コルネホの服を頻繁に撮影し、90年代ファッション写真を語る上では欠かせない写真家だったマーク・ボスウィック。一方でピクニックや休暇を過ごす湖畔の風景など折にふれて家族とともに過ごす時間の中で撮られたイメージも発表してきた。2000年以降しばらくはファッション写真から距離を置いていたが、近年は成人してやはり自らも写真を撮影する娘の興味とともに、再びファッション写真を少しずつ撮影している、という。

sub2マークは人生と日々の生活と写真が一体だ。彼が美しいと思う自然、一緒にいて深い会話を楽しめる友人たち、そして何よりも大事な家族。きれいごとではなく、彼の撮る写真がそのまま彼の人生を現していることが、長年本人の仕事を見てきて最も敬服することだ。六本木のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムに入ってすぐの壁に再現されているのは、マークのNYのアトリエを再現した風景である。ブロックと板を積み上げた棚の上にある展示。それはかつて私が、出張中に彼の家を訪ねたときや、お互いパリコレの時期に共通の友人の家に宿泊していたときなどに、彼が行っていた行為(親しい人のために果物や花を買う、料理をする、リラックスした会話を楽しむ、楽器を奏でる、など)の痕跡をしめすようにそこにある。ボール紙に貼った写真の白黒コピー、ポラロイド、彩色したタイル、文字を描いたキャンバス、草やドライフラワー……。それらは飾りではなくマークの生きた時間、日々そのものである。

自分が子育てをしていない頃、マークの家族写真を見ていたときは、呑気に、美しい家族の風景があるものだと感心していた。自分も子育てをはじめてみると、彼のように近い距離感を保ちながら家族と接し続け、その風景を写真にして発表し続けることは、そう容易ではないことを私も自覚できるようになった。「ここ18年間、自分の人生で最優先だったのは子育て。家族といる時間を、ストレスだとは思いたくなかった。真実から逃れるのが嫌だったんだ」「家族の関係も、友人との関係も、長くなればなるほど深い意味のあるものになっていく。それはとても美しいと僕は思う」

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自分にとって近い人との関係ほど、デリケートであり込み入った感情を伴うものだ。時には問題があることもあるだろう。でも「Problemという言葉は僕は好きじゃない」とマークは言う。「人生は人が考えるほど複雑ではなく、シンプルなものだと僕は信じてる。それを複雑にしてしまうのは自分たちの頭の中なんだ」「物事を複雑に捉えすぎないで。心の中の声に耳をすませば、たくさんの喜びや美しさが溢れているんだよ」

sub6写真を額に入れるよりむしろ白黒コピーしてしまう、複製物にしたときの美しさも熟知しているマークのセンスの良さを手近に知ることができるのは彼が頻繁に制作してきているZINEや写真集である。今回も、部屋のなかで気軽に飾ることができるようなストリップ状の写真や、出版物が数種類(作品集、限定部数のオリジナルプリントつきの本やZINEなど)販売されている。

写真をテープで、釘で、クリップで留め、糸で吊るしているのはマークが実生活のなかでさりげなく行っている行為だが、その行為をそのまま移したようなIMAコンセプトストアでの展示からは、私たちが生活のなかで写真とどう接するかのヒントを得ることもできるだろう。

(text / nakako hayashi