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作家・食ジャーナリスト 山根泰典が綴る、食にまつわるよもやま話を集めた連載コラム。

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香港の夜景は世界三大夜景のひとつにカウントされている。中環(セントラル)の高層ビルを際立たせる光線の輝き、ビクトリアピークから俯瞰する不眠不休の街の煌めき、どちらもパノラマ撮影、インスタ映えするのは間違いなしである。でも、である。清濁併せ呑む、眠らない香港の街の夜景と言えば、やっぱり九龍サイドのきらびやかなネオンサインがまず頭に浮かぶのである。

近年、街の再開発が進み、九龍城も公園に変貌を遂げ、老朽化した吊り看板が撤去されたり、ネオン管がLEDに転換されたりしているのはやむを得ない。それでも租借地だった頃の、あの近未来とガラクタが絢爛華麗に表裏一体、紙一重の街、老香港が懐かしくて仕方がない。そんな変わらぬノスタルジックな気持ちを感じさせる場所が今の香港にあるとするならば、それは味の変わらない老舗レストランのテーブルに着くことだと、つくづく感じた。

横浜、神戸、長崎のチャイナタウンはもちろん、世界一の食在庫東京で口にする中国料理は、十二分に美味いのは言うまでもない。ただ、たとえ盛装して高級店で高級食材をせくせくと口にしても、それが質なのか量なのか、はたまた値段なのか、何かひとつピリッとこないことがある。ところが、香港で食す中国料理は自分が普段着のままであっても、正真正銘の香りと脂と、淡さと痺れがどこからともなく湧いてくる。味覚には個々人の徹底的な偏見があるので、これがすべてではないが、あの肌をゾクッとさせるような香港の味覚の名料理を順を追って紹介したい。

(杭州料理屋で大閘蟹をしがむ休日)

季節は十一月の連休である。ホテルで荷を解くと、夫婦二組と在香港二十年の知人の五人でタクシーに乗り込み、一晩目の夕食に出掛けた。黄昏に染まる雑踏をゆっくり進む。目当ての店は、尖沙咀(チムサアチョイ)の”老上海”的レストラン「T」である。店の外観は日比谷の裏路地に佇む昭和の街中華の趣があり、店の内装も古びていて、まるでどこかの自治会のように極めてシンプル。ところがこの店、知る人が知る、上海浙江省杭州料理の名店なのだ。(なんでも主人が香港イチの上海蟹の目利きで相場も決めちゃうらしい)店内は客がまばらにあり、五人は丸テーブルに招じいれられた。私は三度目の来店である。知人が主人相手にメニューを眺めながら、いつも通り注文をやりとりしてくれた。そこへおもむろに白衣姿の主人が、藁で亀甲に縛られた上海ガニを搬んできた。これとこれにしろと蟹の腹を人数分見せつけた。値は張るものの間違いなく蘇州陽澄湖産だ。

注文が整ったので店の奥のトイレに立ち上がった。いつも通り、細い廊下の床にはホソウナギが甕の中で立ち泳ぎをしており、左側面にガラス越しの厨房を覗くことができる。炎がレンジフードに届きそうなまでに上がり、料理人が中華鍋をシャキンシャキンと煽っている。この炎こそがこの店が香港でナンバーワンである発信力を感じさせるのである。

まずはサンミゲルで喉の渇きを潤し(お茶は新芽の龍井茶)、前菜の酔っ払い蟹(生の蟹)に吸い付き噛みしだいた。ネッチリとしたのし梅のような食感の中のしょっぱさが目を見開かす。酒が店自慢の甕出し紹興酒に変わり、次々に先ほど目にした灼熱の炎に煽られた料理、豆苗の油炒め、小海老と龍井茶の炒め物などの熱ものが良い塩梅で卓に並ぶ。ネットリ、さっぱり、シャクシャクとする塩味である。食欲が湧き、酒が進む。

そうこうするうちにちょうどプクッと朱色に蒸し上がった蟹が、こちらに小さな目ん玉を向けて、五人の前に“鎮”と添えられた。茶黒色の酢もそばにある。仄かに熱い甲羅を外し、痒いところをむしる様にして蟹の身をほじくり、束ねるように酢に浸し口に入れた。

「ホウメイ!(好味!)」次に黒文字のような脚を一本、一本しがむと、細やかな、淡白な脂とエキスが口の中で旨味に変わる。卓上では皆一切の会話を省いて、旨味が絞り取られた殻を吐き出す。(ここで上海蟹を食べると身体を冷やすことから生姜茶が供される)蟹を食べ終え、紹興酒を口にすると穀物の品のある雑味が増すような錯覚を覚えた。最後は蟹の身と味噌があんかけになった撈(ろう)麺(みん)(最近は雑誌に紹介されている和えそば)が搬ばれた。どれだけの数の蟹を使っているのか想像するだけでワクワクする。油香がピチピチと霧のように立ち上り、あんと麺をかき混ぜてフェトチーネのように束ねて噛みしめる。ムッと鼻腔に品のよい風味と、香り隠れていた天然のスパイスが舌を満足させてくれた。

胃袋の眠らない香港の街、一晩目の夕食は昔ながらの工夫と知恵のつまった老上海の本場の味を堪能できた。


文/山根泰典


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山根泰典(やまねたいすけ)/ 作家・食ジャーナリスト

1964年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、放送局に勤務。退職後、実家が営む老舗料亭に戻り、日本料理業界においては東京日本料理組合理事、日本料理文化振興協会理事、東京ふぐ連盟理事を歴任。その後、自身の体験に基づく老舗料亭における人間模様を描いた小説の執筆を機に、作家に転向し創作活動をスタート。日本の地方食文化や食材食味、流通、料理にまつわる取材・執筆を行う。また、昭和の時代の社会現象や戦争と平和をテーマにした創作活動をライフワークとしている。