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「Benfiddich(ベンフィディック)」は看板の無いミクソロジー・バーだ。ミクソロジーとは近年よく耳にするようになったが、これは薬草やハーブ、スパイスなど従来のスタンダードなカクテルの世界では使われなかった材料をさまざまな器具を駆使して作る、新時代カクテルといってもいいだろう。 「ベンフィディック」店主の鹿山博康さんは自分の畑でさまざまな植物を育て、アブサンなどのリキュールまで自分で配合、使用するボタニカル・カクテルの旗手。究極の一杯を求めて、世界中のカクテルラバーが夜な夜な「ベンフィディック」を訪れる。その重厚な扉を開き、鹿山博康のカクテルの世界を堪能する。




自ら育てたハーブや植物を調合して作る
唯一無二のボタニカル・カクテル。


「ベンフィディック」には看板がない。西新宿界隈で夜スマートフォン片手に道を歩く外国人旅行者を見かけたら、十中八九「ベンフィディック」を目指しているものと思って間違いないだろう。それほどまでに鹿山さんのカクテルが多くの人をひきつけるのは、なによりもその独自のスタイルにある。ホテルのバー勤務などを経て独立した、鹿山さんは自ら育てたハーブや植物を使いアブサンなどのリキュールを自ら調合し、作る。つまりカクテルをゼロの段階、原材料から作るのだ。2013年に「ベンフィディック」をオープンするとその噂は瞬く間に広がり、自らアブサンを作るユニークなバーテンダーとニューヨークタイムズに紹介されたこともある。また「世界ベストレストラン50」で世界一に輝いたデンマークのレストラン「ノーマ」のシェフ、レネ・レゼピが来日した折には連日「ベンフィディック」に通い、帰国後に日本の思い出としてその名をあげていた。2018年には「世界ベストバー50」にランクインしたことでその人気は決定的となり、SNSの発達もあっていまや世界中のカクテルラバー、バークルーザーが「ベンフィディック」を目指すようになったのだ。
barbf_05(写真)ベンフィデックの鹿山博康さん。

そんな有名バーとはいえ、鹿山さん本人はいたってフレンドリー。重厚な雰囲気のバーではあるものの、店内には実にリラックスした空気が流れている。それはゲストはもちろん当の鹿山さん本人が心底カクテル好きであり、楽しみながら作っているのがダイレクトに伝わってくるからだ。

ひさしぶりに「ベンフィディック」の扉を押して店内に入ると、右手には一人がけチェアが並ぶ木のカウンター。そこは鹿山さんが立つメインステージで、ゲストは誰もがこのカウンターを目指す。入り口正面の壁には鹿の頭部の剥製が飾られているが、これは店名に由来する。「ベンフィディック」とはスコットランド地方のゲール語でベン=山、フィディック=鹿を意味するのだ。スコットランドに「グレンフィディック=鹿の谷」という名の蒸留所があるように、鹿山とはまるで酒のために生まれたような苗字ではないか?この夜は一番客としてカウンターの中央に座り、眼前で鹿山さんのシェイカーさばきを見ながらカクテルを味うという、なんとも贅沢な夜が始まった。

鹿山博康氏の様式美が詰まった、その一杯の世界。

barbf_02jpg(写真)「ローズマリーとにがよもぎのギムレット」。

基本的に「ベンフィディック」で飲むカクテルは鹿山さんにおまかせだ。「この暑い時期ですから、最初に少しビターなカクテルはいかがでしょう」と鹿山さんが最初に作ってくれたのは「ローズマリーとにがよもぎのギムレット」。ローズマリーとにがよもぎ、ジン、シロップ、ライムジュースをすり鉢に直接注ぎ、裏ごししてからシェイク。すりこぎを持つ優雅な手元は茶道を連想させ、鹿山さんならではの様式美が凝縮されている。「どうぞ」と鹿山さんが差し出してくれたギムレットはキリっと冷えており、にがよもぎのビターなファーストアタックに、地中海の夏を思わせるローズマリー独特の清涼感。そして口に含むとライムの心地よい酸味とシャープなジンの切れ味。甘、苦、酸がうまく調和した、夏のバータイムをはじめるのには最適な一杯だ。

FD_02(写真)「山椒のジントニック」。
「山椒がお好きでしたら、山椒のジントニックはいかがでしょう」と次に鹿山さんが作ってくれたのが香り豊かな緑山椒を使ったジントニックで、凍らせたピオーネぶどうのすりおろしをトッピング。甘いブドウの香りがなんとも心地よく、ロンググラスに口をつけてみるとジンの奥に山椒のスパイシーな香りが感じられる、舌がほのかに痺れる。添えられた実山椒を時折かじってみると清涼感が口中に広がる。こうした味の変化を楽しめる重層的なジントニックは実に楽しい。
次はフィレンツェ生まれのカクテル「ネグローニ」の変化系「ウイスキー・ネグローニ」。これはトスカーナ産の素焼きの壺「コッチョペスト」の中にあらかじめネグローニを作って仕込んでおく前割りのスタイルで、ステアしてからロックグラスに注いでくれる。素焼きの壺はローマ時代からイタリア人がワインやオイルを貯蔵するために使っていたもので、多孔質なので微量の酸素が透過し、ゆるやかな酸化=熟成が行われるメカニズムだ。近年ではこの素焼きの壺を使った、まろやかな熟成カクテルも世界的なトレンドとなっている。ベルモット特有の香り甘くてビターな味わい、そしてジンの代わりにウイスキーを使っているので木樽の香りもほのかに漂う。そして驚くべきはで、多面形にカットされたロックアイスだ。十二面体?いや十六面体?時折ネグローニを口に含み、氷をながめているだけであっという間に時間が経ってしまう。

「さっぱりめと強め、どちらがよろしいですか?」とたずねてくれたので、この夜を締めくくる最後のカクテルを少し強めで希望する。「メスカルと自家製スーズのカクテル」だ。メスカルはメキシコ原産で、テキーラ同様リュウゼツランを原材料に作られる蒸留酒。一方スーズはというと、本来はリンドウ科の植物ゲンチアナ(イタリアではジェンツィアーナ)を使ったフランス産の甘くてビターなリキュール。
barbf_04(写真)「メスカルと自家製スーズのカクテル」。

すると鹿山さんはひとかかえもあろうかという、古い麻布にくるまれた巨大な丸い瓶をカウンターの下から取り出した。これが鹿山さん自家製のスーズだ。これをメスカルとともにミキシンググラスに注ぎ、またしても優雅な手つきでゆっくり、じっくりとステア。例の多面形ロックアイスとともにロックグラスに注いでくれた。乾燥したメキシコの大地を思わせるメスカルの香りと甘くてビターなスーズの後味。今宵をしめくくるのにふさわしい、デザート的な位置付けにもなるカクテルの余韻は長く、強く、飲み干した後にいつまでも残っていた。

カクテルの深淵に憩う、愛すべきバー時間を。

barbf_01jpg本来ベンフィディックのゲストは6〜7割が外国からの旅行者。みなSNSやGoogleMAPを見て事前に綿密なリサーチを行い、看板のないバーを目指して世界中からやってくる。以前「ベンフィディック」を出た後、アメリカから来たという一人の女性に声をかけられたことがある。聞けばバークルーズが趣味で、ネットで見つけた「ベンフィディック」を探しているというではないか。その日もすでに満席だったので、予約をしないと難しいと答えると「じゃあ今日は諦めて、明日もう一度電話してからトライするわ」と、夜の繁華街に消えて行った。おそらくはこうした光景は「ベンフィディック」周辺で毎晩の様に繰り広げられていたのだろうが、いまは外国人客の姿は見えない。そのかわり日本のカクテル愛好家たちが鹿山さんのカクテルを毎夜ゆったりと楽しんでいるのだ。今年の夏は例年にもまして暑く、厳しい。そんなおり一服の清涼剤のごとく、清冽なるカクテルを味わいに「ベンフィディック」を訪れてみるのはどうだろう。それは未知なる味との邂逅であるだけでなく、一杯のカクテルに込められた物語を味わう、そんな至福の時間でもあるのだから。

Photo&Text Masakatsu Ikeda

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barbf_infoBenfiddich ベンフィディック 

住所:東京都新宿区西新宿1-13-7 大和家ビル 9F
Tel:03-6258-0309
18:00〜翌1時 日・祝休
Facebook:https://www.facebook.com/BarBenfiddich
Instagram:https://www.instagram.com/barbenfiddich/
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池田匡克 ジャーナリスト、イタリア料理愛好家

1967年東京生まれ。1998年よりイタリア、フィレンツェ在住。イタリア国立ジャーナリスト協会会員。イタリア料理文化に造詣が深く、イタリア語を駆使してシェフ・インタビュー、料理撮影、執筆活動を行う。著書に『伝説のイタリアン、ガルガのクチーナ・エスプレッサ』『シチリア美食の王国へ』『イタリアの老舗料理店』『世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ』など多数。2014年イタリアで行われた国際料理コンテスト「ジロトンノ」「クスクス・フェスタ」などに唯一の日本人審査員として参加。2017年イタリア料理文化の普及に貢献したジャーナリストに贈られる「レポーター・デル・グスト」受賞。WebマガジンSAPORITA主宰。
イタリアを味わうWebマガジン「サポリタ」
http://saporitaweb.com//
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