452(写真)左から「京料理 たか木」の高木一雄シェフ、農口尚彦杜氏、キャビアをサーブしてくれた「ストゥーリア」のアジア・エリアマネージャー、ポーラン・リオ氏、糸井章太シェフ。

日本酒に一家言ある人なら農口尚彦杜氏の名をご存知だろう。「酒造りの神様」の異名をとる日本最高峰の醸造家だ。1932年石川県能登町生まれ。杜氏の家に生まれ、16歳で酒造りに携わる。70年代には、低迷を続けた日本酒市場で吟醸酒をいち早く広め、吟醸酒ブームの火付け役となった。戦後失われつつあった山廃仕込みの技術を復活させたのも農口氏だ。御年88歳、「酒造りの神様」とあがめられている御仁である。

2017年には、「いま求められている酒づくり」と「後進育成と市場の醸成」を自身のミッションに掲げ、石川県小松市郊外の観音下(かながそ)町に「農口尚彦研究所」を開設。農口杜氏のもとで学びたいという若者とともに酒造りをスタートさせた。ぐるぐるうずまきのラベルがトレードマークとなっている。
004 その「農口尚彦研究所」では、2019年3月より、著名なシェフを招き、小松市の食材を使った料理と、「農口尚彦研究所」の日本酒をペアリングする「小松Saketronomy(サケトロノミー)」を不定期で開催している。国内外の美食家の「旅のデスティネーション」となることを目指すべく、「美食のまち」としての小松市の魅力を発信していくことを目的にしたプロジェクトだ。日本酒好きの美食家にとっては、めまいがするくらいに贅沢な催しである。幸運にも、その第5回となるイベントに参加する機会を得たので早速レポートしよう。




小松空港から約20分の山里にある、酒と美食の空間。

048「農口尚彦研究所」は、小松駅からはクルマで20分ほどの山里に位置する。小松空港からも20分強。だんだんと車窓の緑が色濃くなっていくにつれ、宴への期待もぐんぐんと高まっていく。

まずは田んぼの真ん中に位置する酒蔵を案内してもらい、その後、宴の会場となる、酒蔵に隣接するテイスティングルーム「杜庵(とうあん)」へ。九谷焼の人間国宝でもある陶芸家、吉田美統氏と、美術家で空間プロデューサーの大樋年雄氏が、ディレクションした、茶室をイメージした空間だ。通常は、予約制で有料のテイスティングを行っている(2021年6月末現在、休業中)、スペースだ。片面の窓からは仕込みのタンクが置かれた酒蔵の内部が眺められ、もう一方は田んぼビュー! 米が育つ様子を眺めながら、そのお米で醸したお酒が嗜めるというわけだ。運が良ければ、蔵人が作業している様子を眺めることができる。全12席(イベントは8席で実施)のコの字型のカウンターはどこも特等席となる。

ミシュラン2つ星「京料理 たか木」と仏キャビア「STURIA」が、
「農口尚彦研究所」至極の酒11種とコラボレーション。


IMG_2233第5回目のゲストシェフは、芦屋の京料理店「京料理 たか木」の高木一雄氏。ミシュラン2ツ星に輝く高木シェフによる10品と、ヴィンテージ違いを含む、「農口尚彦研究所」の11種類の日本酒をペアリングでいただく。さらにこの日はフランスのスタージョン社のキャビア・ストゥーリア(STURIA)とのコラボにより、料理の随所にキャビアを使用するという試みだ。ストゥーリアのキャビアは繊細な塩分が特徴で、今回は、バエリ(シベリアチョウザメ)、オシェトラ(ロシアチョウザメ)、まだ日本では販売していない、ベルーガ(オオチョウザメ)の3種を味比べするという粋な計らいだ。参加者おのおののゴクリと喉を鳴らす音が確かに聞こえた。先に言ってしまうが、筆者の人生において、1日でこれほどの量のキャビアを食べたのは初めてだったし、この記録を超えることはもはやないと思われる。

会場は、「さあ美味しいものを食べるぞ、飲むぞ」という得も言われぬ高揚感に包まれていた。のちに神戸や東京、地元小松の料理人など、押しも押されもしない食いしん坊たちが集結していたことが判明するのだが、こんな山の中まで神様と呼ばれる杜氏が手掛ける日本酒と、星を持つシェフによる料理のマリアージュを楽しみに来るのだから、まあ言わずもがな……。とにもかくにも、そんな人たちと一緒に、美味しいお酒、美味しい食事をする時間が楽しくないわけはないのだ。
67b2a3c3 最初に登場したのは、小さなスプーンに乗った、ベルーガ。これに「Limited Edition NOGUCHI NAOHIKO 2017」を合わせる。酒蔵の開業初年度である2017年に収穫したお米から、杜氏が厳選したものを醸した、「農口尚彦研究所」の初ヴィンテージだ。左右非対称のボトルは、大樋年雄氏がデザインした。限定5500本。値段は興味がある人は調べていただくとしてあえて書かないでおこう。日本酒とキャビアをこれほど真っ向から対峙させるのは初めての経験だが、これが得も言われぬほどに素晴らしい。塩気が少ないベルーガは、米が作り出すやさしい甘みに抱かれ、その濃厚なうま味はさらに円熟味を増す。

bbbcc 先付は「金時草とガス海老」。北陸の名産、ガス海老は、農口杜氏が手がけた米麹で作ったしょうゆ麹に4日間、漬けてから調理したもの。上には、脂分が少ないバエリがあしらわれていた。日本酒は、「YAMAHAI AIYAMA 無濾過生原酒 2018」。うま味成分を合わせるために30℃の日向燗で供された。うま味の競演だ。椀盛の「牡丹鱧と加賀太胡瓜」には、キャビアはオシェトラ、日本酒は山田錦を使用した新酒「農口尚彦 88YEARS OLD Special Edition 2020vintage Vol.1」を合わせる。今年88歳の農口杜氏が手がけた若々しい純米大吟醸を、お椀に合わせて40℃のぬる燗でいただく。

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お造りは、湯あらいしたナメラ(キジハタ)。こちらも北陸の名産品だ。マリアージュは、酒米「五百万石」のみを使用した「JUNMAI 無濾過生原酒 2019」。醤油の代わりに使う煎り酒にも、この純米酒を使用したという。八寸「赤イカ、一寸豆とバチコ」は、60℃に温めた、精米歩合が65%の「山廃純米酒 無濾過原酒 2017」とともにサーブされた。時間の経過とともに温度が下がっていくことも計算されている。

スタッフはゲストが食べる進行具合を見ながら、ベストな温度で提供できるようにと、きびきびと動いていた。単に料理と酒を合わせるだけではない。温度や酒器を含めてのペアリングなのだ。その努力に報いようじゃないかとこちらも気合が入る。揚物(ゴマふぐの白子と花ズッキーニ)に合わせたのは、「HONJOZO 無濾過生原酒 2019」。クリーミーな白子にはクリーミーな日本酒を合わせたいと、一度、72℃まで熱し、35℃まで下げることでまろやかな味わいを実現しているのだとか。

合肴(毛蟹と春菊)は、オシェトラと、「DAIGINJO 無濾過生原酒 2018」とともに。2018年に収穫した山田錦を使った、この大吟醸酒は、数が少ないため一般販売はしていない。飲食店でのみ提供しているレアものだ。香り高く、すっきりとした切れ味がいい。

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ほろ酔いのふわふわした気分のなか、ふと顔をあげると外(田んぼのすぐそば!)で高木さんやスタッフが炭火焼きを行っていた。焼物は「能登牛炭火焼き」。トマト麹につけて焼いた、地元の英雄・能登牛を、花山椒と木の芽とともにいただく。ここでお出ましになったのは、「JUNMAI DAIGINJO 無濾過生原酒 2018」。華やかな純米大吟醸は、トマトのさわやかな酸味と甘みと重なり、きりっとした表情を見せる。

67b2a3c3 〆の一品は、これまたゴージャスに尽きて微笑みがこぼれてしまう。そのままでも十分おいしい小松市産の有機栽培米にたっぷりのキャビアをかけていただく。まずはキャビア丼で、その後メギスの出汁をかけてお茶漬けに。究極の“大人の卵かけごはん”に合わせるのは、「YAMAHAI AIYAMA 無濾過生原酒 2018」。山廃特有の酸味と切れは、豊かな懐で、有機米の甘みとキャビアのうま味を包み込む。混然一体、とはまさにこういうこと。この日、何度目かの、感嘆のため息が漏れてしまった。焚合の「加賀蓮根餅」は、しっかりとした味わいの「YAMAHAI GOHYAKUMANGOKU 無濾過生原酒2018」のぬる燗(45℃)とともにいただいた。

dc5bbbcc 最後はデザートだ。この日のデザートは、35歳以下の料理人によるコンペティション「RED U-35」で、グランプリに輝いた、糸井章太シェフが担当。すでにお腹も心も存分すぎるほどに満たされているが、洗練されたデザートにも、しっかりと日本酒がペアリングされていてうれしい。酒粕を使用したスフレは、砂糖の代わりに、麹で甘みを付けているという。これに、最初に登場した、「Limited Edition NOGUCHI NAOHIKO 2017」をかけていただく。ラム酒をたっぷり吸いこんだ、フランス生まれのお菓子「サバラン」の、さながら日本版といったところだ。華やかさの二乗である。欲張って、かけすぎてしまったけれど、後悔はしていない。

現実離れしたかのような幸福な宴が終わり、外に出ると里山は夜の帳に包まれていた。夕方までうるさいくらいに泣いていたカエルはもはや眠りについたのだろうか。アルコールの酔いと、人生においても上位にランキングされ続けるであろう、美酒美食を平らげた高揚感に包まれながら、「農口尚彦研究所」の日本酒の、そして小松産の食材の無限の可能性に思いを馳せる。そしてペアリングが、日本酒のうま味や香り、コクなどで、料理をさらなる次元への高みへと押し上げていく力を持つことも再認識した。
5cc第6回の開催はまだ決まっていないとのこと。農口尚彦研究所の公式サイトや小松美食バレー公式サイトなどで告知されるので、ぜひチェックしてみてほしい。筆者も再訪を誓っている。なお、最後に、現在、農口尚彦研究所に隣接する廃校をオーベルジュにする計画が進んでいるという情報も付け加えておきたい。

Text by 長谷川あや

restaurant information


001農口尚彦研究所

住所:石川県小松市観音下町1-1
Tel:03-6455-5433(予約受付 12:00-17:00)