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2021年10月1日、恵比寿にオープンした「Saucer(ソーセ)」は看板のないレストランだ。看板がないとはいえ、外観はちゃんとレストラン然としているのだろうと思う方もいるかもしれないがそうではない。 そのロケーションはというと、ごくごく普通の住宅に見えるマンションの地下一階。表に看板がないのはもちろんのこと、エレベーターに乗り込んでもレストランらしき表示は一切なく、果たして本当にここでいいのだろうか?と初めて訪れる人は一瞬不安な気持ちになるだろう。地下一階のボタンを押し、ほどなく到着してドアが開くとそこには「ソーセ」のスタッフがにこやかに出迎えてくれていた。まるで禁酒法時代のシークレットバー「スピークイージー」のような演出だ。



プライベートを重視した贅沢なダイニングエクスペリエンス。

saucer_01隠れ家風、と呼ばれるレストランは巷にいくつかあるだろうがここは正真正銘の隠れ家レストラン。サプライズを期待するならば、これほどまでに人を驚かせる演出もそうそうはないだろう。しかも贅沢なことに「ソーセ」が迎えるゲストは1日1組、完全なるプライベート・レストランだ。店内は木を基調としたウッディな空間で、知人のリビングルームに招かれたような気分にさせてくれる。1日1組のゲストは最小4人から最大でも8人。記念日の会食など、こじんまりとしたパーティにはぴったりだし、気のおけない家族や友人とともに、とっておきディナーを過ごすのにこれ以上最適な空間はないだろう。

重厚な木のカウンター席につくと、ほどなく郡司一磨シェフが現れた。現地フランスでの修行はじめ、これまでフランス料理店でキャリアを培ってきた郡司シェフが選んだ店名「ソーセ」とはフランス料理の命ともいえるソースのこと。近年のイノベイティブ、あるいはフュージョン料理に一石を投じるかのような、古き良きフランス料理への伝統回帰とでもいおうか。カウンターの向こう側できびきびと動く郡司シェフの立ち居振る舞いは、熟練のパントマイマーのよう。目の前で次から次に料理を仕上げては、こと細かく丁寧に説明してくれる。それは文字通りプライベートダイニングにおける専属シェフのようで、郡司劇場とでもよぶべき素晴らしい時間が幕を開けた。




トリプル・コンソメをベースに、ソースと食材が個性豊かにマリアージュ
saucer_02店名から想起されるように、クラシックなソースを前面に出したその料理の数々は実に個性的だった。例えば、アミューズの直後に出てきたのは自慢のトリプル・コンソメスープ。ハーブ鶏のもも肉と鶏ガラ、香味野菜を3日間、1日ごとに濾しながら濃縮していく。そのきらめくような味わいといったらどうだ。針しょうがの香りも鮮烈、これから登場する料理にはこのコンソメが使われているというから、日本料理でいうなら最初にその命の出汁を味見させてくれるようなもの。いやが応にも今宵への期待は高まる。 saucer_03 次の「ソーセ」は文字通りソースのみのミニマルな一皿。今が旬のポルチーニ茸の濃厚なソースをパンでぬぐって食べる。「ソーセ」には「ソースをぬぐって食べる」という意味もあるのだ。焼きたてのパン、バター、そしてポルチーニ茸のソース、パンを美味しく食べるというフランス料理の根幹が凝縮された料理。
saucer_04 この夜の白眉はウズラ。フランス産のウズラのもも肉はハーブでコンフィしたものと、低温調理の2種類が堪能できるのだが、ソースとなるのが郡司シェフの生まれ故郷のすぐ近く、伊勢原市の名物の寿雀卵(じゅじゃくらん)。これは郡司シェフが子供の頃から慣れ親しんできた味で、行列必至の名店で限定販売されており、オープン直後の最初の仕入れ時は急遽、母上に1時間並んで購入していただいたという。美しいオレンジ色の卵黄にナイフを入れ、溢れ出す黄金色の液体をウズラのもも肉にまとわせ、ほおばる愉悦。今も昔も、一番好きな寿雀卵の食べ方は卵かけご飯だという郡司シェフ。彼の少年時代を思い起こされるようなノスタルジックな味は忘れられない。
saucer_05 続く魚料理は、柔らかく火を入れたマナガツオ。緑も鮮やかなシソのリゾットには割り干し大根、みょうが、ライムがしのばせてある。淡白かつ上品なマナガツオにシソのほのかな苦味と鮮烈な香りが絶妙にマッチし、ライムの酸味が口中をリセットしてくれ、すでに何品も食べてきたというのにまた次の料理が食べたくなる、まるでモヒートを思わせるような印象的な一皿だった。
saucer_07 華やかなエンディングにふさわしいのが小形牧場牛のシャトーブリアン。食べ頃になるまで熟成させたフィレ肉の中心部をローストし、オニオンピューレ、クレソン、そしてボルドーの赤ワインを使ったボルドレーズソースで食べさせてくれる。脂身が少なく滑らかなフィレ肉に濃厚なボルドレーズソースをまとわせ、わさびをほんの少しつけて口に運ぶ。肉の旨味とソースのハーモニーは忘れがたく、長い余韻を残す最後の料理となった。

普段使いするのももちろんいいが、「ソーセ」はとっておきの日に行きたいエクスクルーシブなレストランだ。郡司シェフはじめ、スタッフは訪れたゲストたちだけのために料理を作り、ワインを注ぎ、サーブしてくれる。これほど贅沢な時間はプライベート・レストランでしか味わえない極上の美食体験=フードエクスペリエンスだ。最後のハーブティを飲み干し、スタッフに見送られて再びエレベーターに乗り込む。地上階で扉が開くと、そこは夜の恵比寿。振り返ってもやはりレストランの看板はどこにもなく、はかない夢を見ていたかのような感覚にとらわれる。その感覚をもう少し味わいたく、食後酒を求めて近隣のバーへ。カウンターにもたれて冷たいジンをすすっている時も「ソーセ」の料理の記憶が次々に蘇ってきた。「ソーセ」とは料理を意味するだけではなく、ゲストを心ゆくまで楽しませてくれる魔法のソース。忘れられない一夜は長く深い余韻を残し、実に心地よくゆったりと流れていった。

Photo&Text Masakatsu Ikeda

restaurant information


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Saucer(ソーセ)

住所:東京都渋谷区恵比寿西 2-7-10 えびす第 3 B1F
Tel:03-6712-7713
営業時間:18:00~20:30L.O.
定休日:日曜日
席 数:カウンター 4席、テーブル席 8席
4~8名での1日1組限定
コース 16,500円、グラスワイン 1,800円〜、ワインペアリング 8,800円〜



profile


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池田匡克 ジャーナリスト、イタリア料理愛好家

1967年東京生まれ。1998年よりイタリア、フィレンツェ在住。イタリア国立ジャーナリスト協会会員。イタリア料理文化に造詣が深く、イタリア語を駆使してシェフ・インタビュー、料理撮影、執筆活動を行う。著書に『伝説のイタリアン、ガルガのクチーナ・エスプレッサ』『シチリア美食の王国へ』『イタリアの老舗料理店』『世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ』など多数。2014年イタリアで行われた国際料理コンテスト「ジロトンノ」「クスクス・フェスタ」などに唯一の日本人審査員として参加。2017年イタリア料理文化の普及に貢献したジャーナリストに贈られる「レポーター・デル・グスト」受賞。WebマガジンSAPORITA主宰。
イタリアを味わうWebマガジン「サポリタ」
http://saporitaweb.com//
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