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"美食を求めて旅をする"、そんな旅のトレンドから、宿泊施設を備えたレストラン、いわゆるオーベルジュが日本の各地で注目を集めている。編集部では、北陸は石川県・富山県にフォーカスし、都会では感じることのできない驚きと、忘れられない感動を私たちに与えてくれるいま注目の4軒を取材。料理ジャーナリスト池田匡克氏のレポートでお届けする。
levo_ph04北陸オーベルジュ特集のラスト、4軒目は石川県珠洲市にある「湯宿さか本」だ。能登半島の最先端、奥能登の市内には鉄道路線がないので、車でアクセスするしかないエリアだ。宿の近くには、見附島(島の形が軍艦に似ていることから、軍艦島とも呼ばれる)などの景勝地があるが、本州の市の中で最も人口が少ないという場所だけあって、「湯宿さか本」までの道はのどかな田園道が延々と続く。"至れり、尽くせり”が当たり前の現代人にとって、素朴さや簡素さの中に感じる美味しさは新鮮だ。本当の贅沢とは何かを問いかけてくれる良宿だ。




人里離れた奥能登にひっそりと佇む美食の湯宿。

FD_02(写真)「湯宿さか本」へと続く青もみじの細道。
能登半島の先端部、珠洲市の森の中にある「湯宿さか本」の謳い文句はなんと「いたらない、つくせない」だ。人里離れた森の中にぽつんと佇む宿は木造二階建ての日本家屋。至れり尽くせりというサービスとは180度対極にあり、部屋にはエアコンやテレビもなければ、冷蔵庫もWi-Fiもない。洗面所も一度部屋の外に出たところの渡り廊下の突き当たりにある。そう書くと不便な宿に聞こえるが、ここで味わえる料理を楽しむリピーターたちに愛されている料理旅館なのだ。

金沢市から奥能登へと向かう「のと里山海道」を北上すること約2時間あまり。途中砂浜の上を車が走る実にめずらしい千里浜なぎさドライブウェイを通り、穴水町、珠洲市と奥能登の町を抜けるとようやく人里離れた「湯宿さか本」に到着する。「湯宿さか本」は玄関に至るまでのアプローチがまた素晴らしい。心細くなるような細い道を進んで行くと、やがて緑鮮やかな無数のもみじに囲まれた日本家屋が見えて来る。まるで京都の金閣寺を思わせる見事な枝ぶりの紅葉に「手入れも大変でしょう」と出迎えてくれた宿の女性に聞くと「いえいえ、冬に積もる雪が無駄な枝を折ってくれるんです」と微笑みながら答えてくれた。「湯宿さか本」をぐるりと囲む森はすべて能登の自然が作った造形美なのだ。

「湯宿さか本」は築100年以上の民家のように見えるのだが、実は主人の坂本新一郎さんがそれまで両親が経営していた旅館を引き継ぎ、30年ほど前に新しく立て直したもの。以前は古い小学校の物置を移築した旅館だったが、坂本さんは輪島の建築家、高木信治さんに改築を依頼。それまで七部屋あった客間を三部屋に減らし、柱や廊下には黒漆を塗って仕上げた。広々としているけれど不思議と落ち着く空間は、坂本さんが若い頃に一目惚れした、高木さんが手がけた輪島の旅館と同じだという。
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ゲストが到着するとまずは三和土で靴を脱ぎ、鴨居に吊るされた銅鑼を叩いて到着を知らせる。ぴかぴかに磨き抜かれた床には紅葉の緑が鮮やかに映え、目に痛いほどだ。二階にある天井の低い和室に通されるとそこにあるのは窓に向かって置かれた小さな文机と扇風機のみ。早々に浴衣に着替えて汗を流しに風呂場に向かうのだが、まずは重い檜の風呂の蓋を自分で取り外さないと温泉に浸かれない。風呂から上がるときもまた、全て元通りにしないといけないのだがこれがなかなか一苦労。とはいえ、そうしたひとつひとつの不便がまるで田舎にある親戚の家に世話になっているかのようで実に楽しいのだ。サービスがないということは、気のおけないもてなしだということにあらためて気づかされる。




朝の魚屋で献立が決まる。季節天候とともに移り変わる食材。

大広間でとる夕食は全て地元産の食材を使ったコース仕立てで、献立はその日の食材次第。まずは冷たいじゅん菜で喉を潤し、飾り包丁を入れて柔らかくあげた蛸天、冷水で冷たく締めたおろしそばと続く。酒は地元輪島の純米吟醸白菊。 maz_ph2maz_ph2(写真)左上から時計回りに:じゅん菜、鱸のお造り、おろし蕎麦、蛸の刺身と蛸天。

さらにあわびの煮物、鱸のお造り、鱧の椀ものと続き茄子田楽、煮物、締めは焼きおにぎりだった。これらの料理は全て坂本さんが寺で覚えた精進料理や、料理研究家辰巳芳子さんから学んだ日本料理を生かした独自のもの。その研ぎ澄まされた清廉な料理はミシュランで一つ星に輝いたほど評価が高い。食事を終えてコーヒーを飲みに離れに向かったところ、敷地を流れる小川のほとりにはたくさんのホタルが舞う夢のような光景に遭遇した。
maz_ph2maz_ph2(写真)左上から時計回りに:鱧のお椀、茄子田楽、焼きおにぎり、煮しめ。

「湯宿さか本」の朝は早い。というのも早朝鶏の声で起こされ、夜明けとともにやってくるさまざまな鳥の声を聞いていたら自然と寝るのを諦めてしまうというもの。朝風呂の後にいただく朝食もまた秀逸だ。
maz_ph2maz_ph2(写真)揚げたての飛竜頭や鱸のカマ焼き、若布と筍の味噌汁に美味しい白米と、簡素でありながら和食の粋を味わえる朝食。

加賀棒茶と揚げたての飛竜頭ではじまり、鱸のカマ焼き、温泉卵、香の物、和え物、若布と筍の味噌汁、そして飯という一汁四菜。食後に棒茶を飲みつつ庭を眺めていると、もみじが色づき松茸が旬を迎える秋はさぞ素晴らしいことかと想いを馳せる。美味しい料理のためなら不便も楽しめる。真の意味で料理を味わうためにある宿が「湯宿さか本」だ。

Photo&Text Masakatsu Ikeda


 北陸オーベルジュ特集 
Vol.01 「L'évo」|富山県利賀村
Vol.02 「Auberge“eaufeu”」|石川県小松市
Vol.03「Villa della Pace」|石川県七尾市
Vol.04「湯宿 さか本」|石川県珠州市

restaurant information


0-4 湯宿さか本

住所:石川県珠洲市上戸町寺社
Tel:0768-82-0584
1人1泊2食 1万8000円、10月2万5000円、11月〜年末2万円(全て税込) 1、2月休業
予約は電話のみ、支払いは現金のみ。


profile


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池田匡克 ジャーナリスト、イタリア料理愛好家

1967年東京生まれ。1998年よりイタリア、フィレンツェ在住。イタリア国立ジャーナリスト協会会員。イタリア料理文化に造詣が深く、イタリア語を駆使してシェフ・インタビュー、料理撮影、執筆活動を行う。著書に『伝説のイタリアン、ガルガのクチーナ・エスプレッサ』『シチリア美食の王国へ』『イタリアの老舗料理店』『世界一のレストラン オステリア・フランチェスカーナ』など多数。2014年イタリアで行われた国際料理コンテスト「ジロトンノ」「クスクス・フェスタ」などに唯一の日本人審査員として参加。2017年イタリア料理文化の普及に貢献したジャーナリストに贈られる「レポーター・デル・グスト」受賞。WebマガジンSAPORITA主宰。
イタリアを味わうWebマガジン「サポリタ」
http://saporitaweb.com//
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