僕は海外の一人旅デビューが遅く、30代に入ってからだった。
初めて訪れたのはローマ。街を歩き始めた初日、大道芸人が多く集まるナヴォーナ広場で陽気なイタリア人に声をかけられた。親しげに話しかけながらミサンガを腕に巻き付け、法外な金額を払えと言ってきた。僕が首を横に振ると彼の表情が変わり、ナイフを出してきた。仕方なく支払った。彼は再びご機嫌になり、僕を目の前の立ち飲みバールに連れていき、彼はエスプレッソ、僕はカプチーノを飲んだ。僕から奪った金で彼は支払いを済ませ、去って行った。一応、おごってもらったんだよなぁ、でも、僕のお金だよなぁと首をひねりつつ、「グラッチェ(ありがとう)」と頭を下げた。
その後、3週間ほどローマに滞在した。ローマ在住の日本人デザイナーやフィンランド人の美術評論家のアパートメントに出入りしているうちに、その周囲のグループと仲良くなり、一緒に過ごす時間が長くなった。毎日、昼頃になると誰かが自家製のワインとチーズを持ってきて、長いランチタイムが始まる。
イタリア人の悪口から、洋服や美術の話まで、あらゆる話題を通訳してもらいながら聞いているうちに、気がつくとディナータイムに突入しているなんてこともあった。どんなに簡素な食事にもナイフとフォークを出してきて、それぞれの職業柄もあるのだろうが、柄が木だったり、石だったり、形が変わっていたりと、それぞれにこだわりがあるようだった。
2週間くらい経った頃だろうか。テーブルナイフの話から、僕がナヴォーナ広場で、ナイフで脅された体験話になった。ワインで酔っていたこともあり、イタリア人からお金を取り返そうと盛り上がった。当時、僕は子供のための大道芸のショーで日本全国を周っていたこともあって、多少、大道芸ができたのである。そこで白塗りの道具とマジックバルーンを用意して、みんなでナヴォーナ広場に向かった。
ところがナヴォーナ広場は一流の大道芸人が多く、僕のような素人に毛が生えたような芸では太刀打ちできない。邪道とは思いつつ、顔を白く塗るところから見せて客を集め、子供一人ずつに作って欲しい動物を聞き出し、それに応えた。すると、あの大道芸人は欲しい物を作ってくれると長蛇の列ができ始め、いつしか目の前に置かれた空き箱はリラ札(滞在していたのは1999年)で溢れた。
手に入れたお金で僕らは、イタリア料理店ではなく、ちょっと小洒落た雰囲気のフランス料理店に向かった。料理はたいして美味しくなかったけど、フォークの重厚感とテーブルナイフの曲線はよかったよね、というのが店に対するみんなの評価だった。今でも素敵なテーブルナイフを見ると、ローマで過ごした3週間を思い出す。盗られたお金でカプチーノをおごってもらったことも思い出しちゃうんだけどね。
イシコ
1968年岐阜県生まれ。静岡大学理学部数学科卒。女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を経て、(有)ホワイトマンプロジェクト設立。国内外問わず50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動が話題になる。
2008年、世界を一都市一週間のペースで旅をするプロジェクト「セカイサンポ」を始め、「SKYWARD」(JAL機内誌)や「SANKEI EXPRESS」(産経新聞)など新聞、雑誌、WEBで様々な連載を通して独自の散歩目線でエッセイを発表しながら旅を続け、2009年帰国。その模様を綴った「世界一周ひとりメシ」(幻冬舎文庫)が、2万部を超えるヒット作品に。 また、2010年より生家の岐阜に移り住み、除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギマニアになりつつある。
関連リンク:
「世界一周ひとりメシ」
「セカイサンポ」